■ [大事なこと]グランドデザイン
色々な学校にお邪魔して校長室に通されるとグランドデザインが掲示されています。しかし、少なからざる場合は、私には理解できないのです。さながら密教の知識の無い私が胎蔵界曼荼羅を見ているような気分になります。
我がゼミ学生がお世話になっている学校(http://www.yamabe.jorne.ed.jp/)のグランドデザインは理系人間の私にとっては分かりやすい。ちなみに校長は理系です。
■ [お誘い]群馬の会
12月17日に高崎で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20151206/1449353521
■ [大事なこと]違和感
教育に関して数々の提言があります。でも、多くの場合は違和感があります。代表的なのは3つです。
第一は「誰にとって」です。様々な教材、発問、ICT機器の利用の提案があります。それを知るたびに「誰にとって?」という疑問がわきます。子ども集団は多様です。成績で輪切りになったはずの高校生ですら、3ヶ月もたてばきれいな正規分布になります。興味関心も多様です。認知スタイルだって違う。それに対して一律なものを強いることに違和感があります。子どもという子どもは一人もいないのに。
第二は、教科学習の軽視です。これまでは心は道徳・特活で、頭は教科学習で、と分けていました。しかし、教育基本法第1条で求めている人格の完成は学校教育の全ての時間にあらねばなりません。ましては汎用的能力の獲得を目指すアクティブ・ラーニングの時代はなおさらです。ところが、心の成長に関して教科学習がおざなりにされています。学校教育の大部分を占める教科学習がです。ちなみに、教師ドラマでは教科学習の場面が殆どありません。教科学習にはドラマが無いと思っているからでしょう。
第三は、何が大事かを考えていないように感じるのです。教師の視点は常に、本日、本時に限定されています。小学校の教師の場合は1年(もしくは2年)の自分の担任期間であり、中学校校・高校は3年の範囲ぐらいしか考えられません。そのため子どもの人生全体の中で今何をすべきか、という視点がありません。学校教育で学ぶものは「学んだ方がいい」ということは否定しません。しかし、万人すべからく学ぶべきものだとは思いません。実は教師もそうしっているのですが、それは考えないようにしています。
そのため、尊敬すべき方々の提案に違和感を持ちます。そして、不用意に発言し、ひんしゅくをかいます。でも、どう考えても3つの違和感は正当としか思えないのです。