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2016-01-03

[]医療事故 22:04 医療事故 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 医療事故 - 西川純のメモ 医療事故 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある病院で医療事故がありました。調べによれば、副作用情報をよく知らなかった医師が薬を処方したためです。患者は副作用のため重度の障害を負っています。担当医は、「その薬は、昔から使われている薬だ。だから、使っていた。副作用があることを患者がよく調べていなかったためだ」とインタビューに応えています。それに対して、「医師は専門家であるべきなのに、無責任だ」という非難の声が高まっています。

 さて、これをどう思われますか?

 おそらく、医師に対する批判に異存は無いはずです。

 さて、以下のニュースです。この責任は、第一義的には、高校の教師にあると思います。そして、第二義的には、そうなるであろうことが予想がつく高校に進路指導した中学校の教師にあると思います。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201601/CK2016010302000098.html

 悪気はありません。副作用情報を学ばなかった医師も同様です。

 すみません。脳天気に今の価値観の中でハッピーにいる人を見ると、ルカによる福音書23章34節を思い出します。

 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

 私は3年後の卒業式に呼ばれたとき、私の前ではハッピーに見えた教え子のその後を知りました。しかし自分はやり尽くしたと思い込んでいるハッピーにいるひとは教え子のその後を知らないのでしょう。奈落に落ちた子は教師と繋がりを持たないでしょうから。でも、その子にも長い長い人生があるのです。

 ハッピーな人は、これを読みませんから。読んだ人はフォローを止めますから。意味ないのですが。愚痴です。

[]評価 11:00 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は上越教育大学の最年少記録で教授に昇任しました。しかし、その審査では学術研究の業績でのみ評価されました。学生指導数、講演回数、出版した本の数は評価の対象となりません。

 私の指導したゼミ生の数はダントツで本学トップでしょう。しかし、学生を指導することによって給料は一文も上がりません。以前、数十年間ずっとゼミ生が皆無だった先生がおられますが、そのことは給与に全く影響ありません。

 そして、ゼミ生が多いために飲み会の度に万札がひらひらと群れて飛んでいきます。その金額は年間で数十万円でしょう。ゼミ生同士での結婚が急増しました(『学び合い』のゼミなので、支え合う中で・・・・・)。これは続けられないと思い、5年ほど前に、今後はゼミ生の結婚式には行かないと宣言したぐらいです。

 この評価システムは民間では全く考えられないでしょうね。

 かなり以前のことです。ある教科専門の若手の先生が「西川さん。教員養成系大学に勤めているのだから教育は大事だと言うことは十分に分かっている。でも、昇任で評価の対象となるのは専門の論文だけ。だから、教育に手を出せないんだ」と言っていました。

 ここが変わらない限り、大学は変わらないでしょう。

 ちなみに理系の研究者が社会に目を向けるのは「金」が必要だからです。だから外にアピールする能力が必要で、それが無ければ昇任も出来ません。

[]相手が違う 10:28 相手が違う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 相手が違う - 西川純のメモ 相手が違う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 地方都市の家電量販店がどんどん閉鎖・撤退しています。

 ある支店の閉鎖が決まったとします。おそらく、店員は店長に詰め寄って何とかせよと主張するでしょう。もとより店長は潰したくは無い。店長なりに必死に本店に交渉したでしょう。でも、駄目だったのです。その店の売り上げが低かったから閉店になったのです。閉店が嫌だったら、売り上げを上げていればよかったのです。その兆候さえあれば、店長は本店に掛け合うことが出来たでしょう。その兆候さえ無かったから閉店に追い込まれた。店長の腹の中でどう思っているでしょうか?

 某大学の話しです。文科省からあるお達しが来ました。会議でもめます。ある人が「学長、もう一度、従来の大学の価値を丁寧に説明して下さい。そうすれば分かってもらえます」と言いました。学長は、「その段階では無い」と取り上げません。学長は文科省の小部屋の中で担当者から徹底的に言われているのです。自分だってそうしたくない。でも、そうせざるを得ない。

 今、大学はどんどん予算を削減されています。当然、削減反対を文科省に訴えています。しかし、日本の大学を一番真剣に守ろうとしている官庁は文科省なのです。その文科省に文句を言っても仕方が無い。

 何でだろう、と思います。

 第一に、自分がどんな論理で攻められており、どんな成果を上げれば、その論理に打ち勝てるか、それを末端に下ろしていないように思います。多くの教師と同じように、クラスで問題が起こると教師一人が悩み、教師一人で解決策を考え、それを子ども達に求める構造です。ようは、末端を信じていない。事実、多くは信じられないと思います。でも、いっしょになって頑張ってくれるメンバーは少なくない。

 第二に、メンバーも直接の上司に文句を言って、上司の陰に隠れるのでは無く、上司の後ろにいる相手を意識し、行動すべきだと思います。その相手を納得させる成果を上げれば上司だって頑張れる。

追伸 学術は金の問題ではない、とおっしゃるならば、給料返上で仕事をすればいい。しかし、そんなのは無理。自身が金を求めるならば、その対価を金を出す側に説明する責任は一人一人にあると思います。

 余裕がある時代は、それを免除された。しかし、今後は誰もそれから逃れられない。

[]エビデンス 09:57 エビデンス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - エビデンス - 西川純のメモ エビデンス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ビートたけしが「人情がいいことを誇る地域は駄目だな。結局、それ以外何も無いことを証明しているから」と言っていました。凄く印象深いものです。

 文科省が文系学部縮小を打ち出したとき、当然のことながら反対の大合唱が起こりました。そして、それらは文系教育がいかに大事かを書いています。が、残念ながら「人情を誇る地域」と同じぐらい叙情的であり、エビデンスに欠けています。それでは、予算を握っている方々は表だっては丁重に承りますが、裏では予算で絞ります。

 でも、文系は役立たないのか?

 いいえ、役立ちます。しかし、それを証明するにはデータをまとめないとなりません。さらに、データに出すためにはカリキュラムを変えなければなりません。グローバル大学創世支援事業でトップ大学に選ばれた13大学は、学校教育法第83条にある「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」で良いと思います。しかし、その他の大学の場合は、就職先を納得させるエビデンスが必要でしょう。つまりアピールする相手は文科省ではなく、文科省の後ろの財務省であり、特に企業なのです。今は、企業が気づいて圧力をかけてきていますが、早晩、子どもや保護者が圧力をかけてきますよ。文科省は「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と言っても聞いたふりをしてくれます。しかし、企業、子ども、保護者に「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と言ったらせせら笑われるか、学費を返せと言われます。

 学校教育法83条で書いてあることを具現化したのが3ポリシーです。さて、学部段階の3ポリシーのなかで「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と書いている大学があるでしょうか?一度読むと良いと思います。

 文系の価値を予算を握っている人に認めさせられない現状を、文系の禄を食む末端一人としてそれが歯がゆい。これから数十年間、研究者として生きなければならない若手研究者が可哀想です。彼らは旧価値観の学会で評価を受けなければならない、同時に、自らの存在意義を社会に説明しなければならない。このままでは二律背反です。

[]学習指導要領 07:38 学習指導要領 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習指導要領 - 西川純のメモ 学習指導要領 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学習指導要領が改訂されます。記事によれば、「今回の改訂では、これまでの知識偏重型から脱却し、思考力や表現力を主体的に育むアクティブ・ラーニングを重視する方針で、ポイントは「英語教育の強化」と「地理歴史、公民に新必修科目」だ。」だそうです(http://www.news24.jp/articles/2016/01/01/07318757.html)。

 私は学習指導要領の改訂なんかどうでもいいと思っています。

 中央教育審議会の答申、学習指導要領を読んでいる人がどれだけいるでしょうか?

 教師が読んでいるのは学習指導要領ではなく、教師用指導書レベルでしょう。そして、どうせそんなに変わらないことを知っています。

 文科省が学校現場の教育に出来ることはあまりありません。決定的にコントロールできるのは免許・研修の時間数、また予算に関わる定員などです。ようは数字で表されることはコントロールできますが、その数字をどのように具現化するかは都道府県の教育委員会に任されています。中央教育審議会は理想から出発します。ところが現実の学校に直接責任を負っている都道府県の教育委員会は現実の学校の実情から出発します。だから、限りなく現状維持します。そのため、総合的な学習の時間、言語活動の充実も見事に「今のままの実践」となります。

 ということが分かっているので、学習指導要領の改訂に興味がありません。

 ところがアンテナの高い仲間から、今回の学習指導要領はいままでとは取り組み方が違うことを聞きました。それでも、「ま、そこそこなんでしょ?」と思って聞き流していました。が、繰り返し、言われるので本気になって調べ始めました。

 その結果、分かったことは、今回の学習指導要領改訂の背景となる答申が網の目のように張り巡らされていることです。そして、その答申の中に「なにげなく」忍ばされている爆弾がかなりあることを見付けました。この種の爆弾はよく読まないと見逃されがちです。

 ここに至って、ただ事ではないことを知りました。つまり、学習指導要領は影響力があまりないのは今まで通りです。しかし、学習指導要領の裏にある各種の施策の影響力は大です。なにしろ、予算で露骨に縛っているのですから。

 次に不思議になりました。なんで、こんなことをするのだろう、と。ここまで強引で露骨なことを文科省は今までやったことはないと思います。文科省は伝統的に日本の学校と教師を信じています。だから、方向性は指し示しますが、具体は現場に任せていました。

 そこで関連する文献、資料を調べて見始めました。そうすると総務省、内閣府、経済産業省関連の資料と符合します。そして、経済団体の資料と符合します。そして、関連した資料を調べると、日本がとんでもない状態に「既に」なっていることを知りました。

 それが一昨年の末から昨年の3月頃の話です。慌てて本をまとめ、出版社に提案したのが4月下旬です。そして本が昨年の8月から出始めました。

 学習指導要領で何が決まっても、決まらなくても、どうでもいいう気持ちは今でも同じです。どうせ、それを具現化するのは都道府県の教育委員会で、都道府県の教育委員会は現実の学校の現状から出発します。でも、日本の置かれた状況は都道府県の教育委員会がどうこうできるものではありません。だから、私は学習指導要領のことは話の最初にちょいとうかうかもしれませんが、直ぐに日本の現状の話をします。

 学習指導要領関連や新テスト関連の情報に一喜一憂していません。優勝が決まった後の消化試合を見ているようです。極論すれば、学習指導要領が「アクティブ・ラーニングは止めます」と決め、「新テストは止めてセンター入試を続けます」と決めても大勢には影響しません。ただ、公立学校がもの凄く大負けするであろうことは確かになり、我が子は公立学校でお世話になっているので困ります。が、それは政治の決めることです。私の頭の中では、次のことを考えています。