■ [大事なこと]補足

先ほどのメモで「総合的な学習の時間の理念は消えてなくなった。」書きました。それをシェアした方のコメント欄に厳しいおしかりが書かれていました。曰く、「総合的な学習の理念は消えてなくなった。」という人は、教師失格です。山際隆先生の元に集まった精鋭が作り上げた理念は、しっかりと定着しています「消えた」と言う人は、ご自分がきちんと研究・実践していないのでしょう。」。
私は野人のため、言葉を知らず、ご不快にさせたならばお詫びします。しかし、お二人のお気持ちを私の気持ちはそう違いはないと思っております。
「しっかりと定着した」とはどのような根拠に基づいておられるのでしょうが、具体的な事実をお教え下さい。
私が「消えた」と申したのは0になったというものではありません。そう受け取られたならば、私の言葉足らずです。お詫びします。
1) 総合的な学習の時間をテーマとした研究発表の数は激減した。
これに対するものに対する反論として予想できるもの一つは、総合的な学習の時間が学校現場に定着したということです。しかし、これは二つのことから私には納得できません。今、教育書を主に買っているのは採用3年程度の若い教師です。その教師は現場に定着したとしてもそれを知りません。従って、定着しているならば、それこそ一生懸命に学び書籍を買うでしょう。
もちろん、大学教育でも定着してるならば、その必要性はありませんが、須藤さんのご指摘はそうではないことを前提としています。
もう一つです。もし、総合的な学習の時間が学校現場に定着しているならば、なんでALがこんなに注目されているのでしょうか?総合的な学習の時間が現場に本当に定着しているならば、「今の実践で大丈夫」となるとおもいます。しかし、身銭を切って本を買う教師ですら、ALに危機意識があるならば、定着しているとは言えないと思います。
さらに、中央教育審議会が何故、ALという造語を生み出し、そして、大学入試と絡めて学校現場を縛っているのでしょうか?
総合的な学習の時間の生まれるとき汗をかいた方々に敬意を表します。そして、そのような方々が今でも理念を具現化する実践をされているであろうということは了解しています。
私の勤務地である上越はその実践で汗をかいた方々は多く、私の同僚にもそのような方がいます。
しかし、それが学校現場に一般的に定着したとは以上の事実によって私には思えません。
「しっかりと定着した」とはどのような根拠に基づいておられるのでしょうが、具体的な事実をお教え下さい。よろしくお願いします。
総合的な学習の時間で汗をかいた方であればあるほど、実際に学習指導要領が動き始めたときに、「なんだ!」と思われたと想像します。昔からあった地域探訪や、クロスカリキュラムが総合的な学習だと言われるようになります。教師が汗をかき、課題を教師が見付け、教師が深めた題材を、子どもが確実になぞるのが総合的な学習だと言われることに憤りを感じたのではないでしょうか?
仕方がありません。小中高の教師は当時は百万人以上もいました。日本最大の組織です。学習指導要領が変わったからと言って、右向け右にはなりません。大多数の教師は昔からの実践に装いを加味する程度しかしません。
ALの文章を読めば、「ありゃ、総合的な学習の時間で言っていたことじゃない」と思われるのではないでしょうか?そりゃそうです。学習指導要領は子どもが大人になった時を考えています。卒業後に60年、70年生きる子どもの生きる力が、10年、20年で変わるわけありません。ALという造語を作り上げた人は多様です。その中には、総合的な学習の時間に汗をかき、その理念をもう一度復活させたいと願った人がいると思っています。
ALだって、同じです。学習指導要領が変わったと言っても右向け右にはなりません。大多数の人は、なんちゃってALをやるはずです。先に述べたように教員は日本最大の組織なのですから。でも、今度は、理念を分かる人を増やしたいと願っています。それによって、大多数の人が理念が分からなくても、理念に沿った実践が定着することを願っています。しかし、なかなか難しいと思います。しかし、諦めません。
子ども達に社会で本当に生きる力を与えたいと願う、長い長い歴史の中で各人がその時々の言葉を使ってもがいていると思っております。
その思いで書いた文章です。
もし総合的な学習の時間で汗をかいた方々を侮辱するような文章になっていたとしたらお詫びします。しかし、真意は上記の通りです。
■ [大事なこと]戦略

しかし、実際に総合的な学習の時間がはじまると潮が引くように関連書籍がなくなった。
結局、今のままでもOKということが分かったから。
今度は、そんなことは起こしたくない。起こせば、子どもが不幸になるから。
結局、前回の騒ぎは「どうしたらいいの?」の要求に応える本ばかり。だから、今のままでもOKということが分かれば関心が薄れる。
アクティブ・ラーニングも同じ。実際にはじまれば、圧倒的大多数の教師は今のままでOKでやる。しかたがない。
だから、私は「どうしたらいいの?」ということとともに、「なんのためのアクティブ・ラーニング」、「アクティブ・ラーニングで達成しなければならないのは何」、「達成できないと子どもの将来は」ということを強調している。過程ではなく、目標と評価を強調している。
このポジションに立って情報を発信できる人は少ない。何故なら、日本の実践界は常に「どうしたらいいのか?」という需要に応えてきたから。私は「何のため」という需要を生みだしたい。