■ [大事なこと] 切所

私に関わる方々に申します。
昨年の当初に賽は投げられました。しかし、多くの人はその意味を分かりません。もちろん出版社もそれが当たりか外れかを見極めるのに時間がかかりました。しかし、一部の出版社が賭けてみたのです。それが昨年の夏です。そこで、それが大鉱脈であることを多くの人と出版社が気づきました。これから、総合的な学習の時間と同じようなことが起こります。
私は、「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。(ドラッカー)」という言葉が大好きです。私は私自身を陳腐化します。というより、本当の願いに近づきます。
多くの人は今までの枠組みの中での製品を大量生産するでしょう。私はその戦いの中に入りません。別次元、別ジャンルで進みます。そして、一定の市場を確保します。
私はアンテナの高い、集団をリードする人をメインターゲットとします。その人達が分かって貰えれば、あとはその人達が製品を生みだしてくれます。我々はそのきっかけを生みだすだけです。
我々の『学び合い』は加えずとも、削らなくてもいい。その素材で勝負できます。もし、付加価値をつけるならば、子ども達に任せればいい。
同志各位。今、スピードが勝負です。一緒にお願いします。
したたかに。頭を使って下さい。手と足を動かして下さい。
と言える私には仲間が多いことを誇ります。
■ [大事なこと]勝手に

今週末に、臨床教科教育学会が玉川大学であります。ゼミ生はその発表のために全力を尽くしています。ゼミ生が一生懸命議論している脇をフラフラ歩き、ゼミ生の食べているお菓子を恵んでもらい、研究室に戻り私の仕事をしています。
彼らの学会発表に関して私は知りません。私は基礎的な方向性を示し、細かいところは本(実証的教育研究の技法)に記しました。それ以上のことは私には出来ないことです。そして、ゼミ生も私は必要としていません。もちろん、心の中では必要とする場面でがあるでしょう。しかし、私を必要としていることを私が恥じることを知っています。そして、私がゼミ生を信じ切っていること、少なくとも私が細々指導するよりもゼミ集団が有能であることを信じ切っていることを知っています。
ということで、ゼミ生が必死になっている時に、私は他ゼミの学生と馬鹿話をしながら食事をしています。
『学び合い』で良かったと思います。
が、信頼と放任は違います。そこを押さえ、かつ、任せる。微妙なバランスです。
おそらく、ゼミ生は素晴らしい発表をするでしょう。ぜひ、学会においで下さい。
高らかに言います。私は学会におけるゼミ生の発表練習を「一度」も聞きません。それ故に安心しています。
■ [お誘い]ぐんたまの会

1月16日に埼玉県本庄市で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kuro106ra/20160107