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2016-01-14

[]部活 21:37 部活 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 部活 - 西川純のメモ 部活 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京大学の推薦入試では各学校が推薦できる人数には制限があります。それが拡大した未来の話です。

 ある学校がありました。その学校は東京大学の医学部、法学部に受験する子どもが集まります。事実、その学校の選抜メンバーに選ばれれば、合格する可能性は高いのです。

 その予備校では、受験は団体戦であることを強調します。全員で受験勉強を乗り切ります。が、最終段階で選抜メンバーが選ばれます。それに選ばれないならば、東京大学の医学部、法学部に受験できません。

 選抜メンバーに選ばれなくても、団体戦で培った能力は高いです。だから、色々な大学に合格できるでしょう。しかし、東京大学の医学部、法学部は受験できないのです。選抜メンバーになれない、子ども達は選抜メンバーに選ばれた子どものために色々なことをします。

 さて、あなたはどう思いますか?この学校のこと。

 あるスポーツで大会常連校があります。地域の子ども達がその学校を目指して入学してきます。中には下宿してまで。その部活に、人数が集まります。

 当然のことならば、最終メンバーに選ばれるのはごく一部です。3年間、レギュラーになれない子がいます。その子はレギュラーになれた子を応援する姿が映し出されます。美談です。が、本当だろうか?と思います。

 最終的にレギュラーになれないことを分かって、その学校を選び、その部活を選んだだろうか?おそらく、大多数はその選択はしないと思います。

 結果が分からなくても、レギュラーに選ばれない可能性を知っても、その学校を選び、その部活を選んだだろうか?これは、その部活の登録選手数と例年の部員数で直ぐに分かることです。これに関しては、それでも選ぶ子は少なくないと思います。

 確かに、得るものは多い。それは分かっています。

 でも、選ばない子どもを私は育てたい。

 生物は生存競争だと言われます。しかし、競争するより棲み分けをしている生物の方が生き残る。

 なんでもいいです。あることで勝負しようとするならば、最終的には努力の問題ではなく才能の問題です。才能のある人が努力するならば、凡人が努力しても勝てませんから。だから、ニッチを探しそこで勝つことです。

 きっと嫌われることを書きます。

 私は高校野球大会やその他の各種大会が成り立たない状態になって欲しいと思います。それは一見違うように見えますが、東京大学の法学部、医学部に入学するのが勝ちであるという現在の受験戦争と全く同じ枠組みです。それが本当に何を意味しているかを分かっていない子がいつのまにか参加し、他の可能性を制限する競争です。

 一人一人の子どもが、自分だけの目標を持てば、全員が優勝できるのです。そんなことを考えられる子どもを育てたい。子ども達は競争にさらされる人生を歩むだろう。その中で幸せになって欲しいから。

 受験競争も高校野球も同根です。スポーツだから美しく、勉強だから汚いわけではありません。

[]富の創造 21:28 富の創造 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 富の創造 - 西川純のメモ 富の創造 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの人の買うものは、そんなにバカ高くない。バカ高くないから多くの人が買える。

 でも、世の中にはバカ高いものがあります。多くは希少性に由来します。欲しがる人が多いのに、その人達に行き渡る量がない。ダイヤもそうですね。ダイヤとガラスの違いが分からない人が何十万円の婚約指輪を買います。冷静に考えればバカみたいです。

 私の考える未来像は、より多くの人が数百人のニーズに応えることによって生きられる社会です。実は多くの人はそのような生活をしています。ただ、今と違うのは、数十万、数百万人のニーズを追い求めなくなって欲しい。

 地元で数百人の人相手の仕事を最初から目指す人が増えて欲しい。十万人都市で0.5%のニーズを開拓できれば500人の顧客が期待できる。おそらく商品ではなくサービスが主体になるだろう。

 一方、日本人を相手にすれば、0.0005%のニーズを開拓できれば500人の顧客が期待できる。おそらく、商品はこのような形になるだろう。

 もちろん多くの人が求める商品やサービスはあるだろうけど、それはロボットや人工知能が担当するだろう。そしてそれを超えるところは天才の領域。

[]学習スタイル 07:04 学習スタイル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習スタイル - 西川純のメモ 学習スタイル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットサーフィンをしていたら「「学習スタイル」という考え方は迷信に過ぎない」(http://gigazine.net/news/20160112-learning-styles/)という記事がありました。

 ありゃ?っと思って読んでみたら、分かりました。誤解を与える記事だな~っと思います。

 世の中には「認知スタイル」とうものがあります。まあ、ものの見方、考え方のパターンです。一定のテストをすると判別できて、その結果は安定しています(これは学術データで保証されています)。例えば、地層を観察するときに近づいて地層を構成する土や石を見る人と離れて層を観察する人がいます。それはEFTテストというものを使うと事前に予想できます(これで学術論文を書きました)。

 ところが学習スタイルが学術的に証明されたかと言えば「?」です。たしかにそんな論文を読んだことはありません。少なくとも認知スタイルのように単純なテストで判別出来て、かつ、安定した結果を出した論文は。

 じゃあ、学習スタイルはないのか?あります。それは皆さんはおわかりですよね。人から強いられる学習方法が自分に合っていないと感じることは皆経験があるはずです。極端な話、識字障害の子どもに読ませて学習させても効果は無いですよね。ただ、そのような極端な例を除外すれば、認知スタイルのように少数のパターンに分類できません。認知に比べて学習は桁違いに複雑ですから。

 じゃあ、どうすればいいか?

 本人に任せるべきだ、というのが『学び合い』の大前提です。一人一人は違うのに、一つの方法を強いれば、必ずフィットしない子どもはいるという当たり前の前提に立っているのです。

 『学び合い』における子どもの学習方法の多様性、流動性を知れば、学習スタイルなんて馬鹿馬鹿しいと思います。

 ちなみに学習スタイルと同じように、いや、それ以上に面白いのが教授スタイルです。

 例えば、AがBに教えていました。Bが分かった頃にCがAに「教えて」と言ってきたのです。普通だったら、AはCに教えますよね。ところがAは「BさんCさんに教えて」と言ったのです。そして、その様子をAはじっと見ていたのです。これによってCが分かると同時に、Bがどれほど分かるかを評価できます。これは小学校の子どもがやったのを私が直に見た事例です。

 また、小学校の全校『学び合い』の事例です。小学校1年生に対人スキルの高いと思われる子(Dとします)がいました。その学校の6年生に勉強の不得意な子(Eとします)がいます。さすがに1年生は教えられません。入学してから、その子はじっと集団の様子を見ていたのです。そうするとEと相性のいい高学年の子(Fとしましょう)は誰かがわかります。

Eが勉強が分からなくて呆然としているのをDが気づきます。ところがEと相性のいいFが別な子を教えていて、Eの現状が分かりません。DはFが現在教えている子は別の子でも教えられることを知っています。そうするとその子をFが教えている子どもの所に手を引っ張って行きます。そしてFの手を引っ張ってEの所に連れて行くのです。つまり、教えるのではなく、繋げることをやっているのです。これまた私が直に見た事例です。これだったら小学校1年生でも集団全体に貢献できます。凄いな、と思いました。

 ね、面白いでしょ。『学び合い』の集団をじっくりと見ていると、この手の子どもの様子が山のように見られます。

 ともあれ、

 長々、書きましたが、結論は「学習スタイルはあります。ただ、単純ではありません」ということです。