■ [お誘い]新潟県教育センター

新潟県の職員の方へ
新潟県県立教育センターの午後の分科会Iで上越教育大学教職大学院の発表会があります。私と赤坂さんのコラボの講演会もあります。お誘いします。お申し込みは学校を通じてお願いします。
http://www.nipec.nein.ed.jp/sc/kyoikuforum/H27/H28poster.pdf
■ [お誘い]セオリー・オブ・ナレッジ

大学研究者は知的に考えていると思っている人が多いと思います。しかし、実際は本当に創造的に知を産みだしている人は、ごく一部です。そして、その人だって、研究者人生の中で本当に地を生み出している期間は長くはない。
じゃあ何をしているか。
創造的に生まれた知をもとに、職人のように一つ一つ確実に積み上げる作業をしている人が大部分です。前提が定まり、方法論が定まれば、時間と手間をかければ一定の結論に至るようになります。そのため、ものを考えるというトレーニングを本格的に受けていない研究者もいます。でも、それでも生きていけます。
知る人ぞ知るPEARSONが出した「セオリー・オブ・ナレッジ」を一足早く読ませていただきました。今まで、欧州での学校教育での哲学の本を読みましたが、それに比べて組織的で分かりやすい。「なるほど、そうくるか」という具合で読めました。抵抗感なく読めるので、速読が出来ます。
が、これを日本が受け入れられる状況に至るのは大変だな~っと思いました。おそらく、『学び合い』よりも大変だと思います。『学び合い』は人間の本能に基礎を置いています。だから、発想さえ変えればだれでも一定以上の達成を期待出来ます。しかし、この本を教えられる人は、ちゃんとトレーニングを受けた人でないと駄目だと思います。無理にこれを日本に導入すれば、演習ごとに標準的な解答が付せられ、教師はそれを覚えることを求めるでしょう。それは高校レベルのみならず大学でも同じように思います。
おそらく、節ごとを1冊のマンガ本にすると分かる人が増えるように思います。
もう一つのシナリオも考えられます。それはトップ大学とトップ高校がこれを取り入れた教育を行い、それを入試で使うのです。トレーニングされていない高校は全く手を出せなくなる。そんなことを妄想しています。
最も組織的な学校「哲学」の姿を見たい方へお勧めです。そういう人が増えることによって、前に進める。
■ [お誘い]サバイバル・アクティブ・ラーニング入門

1月28日に発売されるサバイバル・アクティブ・ラーニング入門の著者インタビューがアップされました。お読みいただければ幸いです。http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160029
■ [大事なこと]インプット、アウトプット

教員採用試験を受験した方なら、こう思いませんでしたか?
「大学入試の直後に受けたら合格するよな~」と。
少なくとも、私はそう思いました。
このことが意味することは、大学入試と教員採用試験は一致して、それらは大学教育と一致していないということです。
教員養成系学部のようなジョブ型大学はなにはともあれ教員採用試験に合格しないと駄目なので、アウトプットがハッキリしています。しかし、同じジョブ型大学である医学部と違って、国家試験がないので、そのアプトプットが大学入試や大学教育と一致していません。教員養成系学部の教育をもっとも劇的に変えるには、医師免許のように国家試験を課すことでしょう。
ところが、非ジョブ型大学はもっと混迷しています。なにしろ、アウトプットの企業が大学教育に何も期待していな「かった」からです。だから、大学は自由に何でも出来ました。強いて言えば、大学としてのブランド力をあげることが就職に影響します。そのブランド力は入試の偏差値でランキングされます。
でも、そのような大学もジョブ型大学化することになります。
評価がお手盛りである限り、改善はない、という当たり前のことです。
■ [大事なこと]記述問題

センター入試以降の新テストでは記述問題が導入される。
記述問題をどうつくればいいのか?みんな頭をひねっている。そりゃそうだ。どんな記述問題をつくるかがハッキリ分からないから。でも、簡単だ。「試験中にスマホを使い放題にした状態での受験生の能力が分かる問題」とすればいいのです。
出題者は、自分がつくられねばならない問題が生やさしいモノでは無いことがハッキリ分かります。でも、簡単です。自分たちが日々悩んでいる問題を出せばいいのです。ネットサーフィンすれば、今問題となっているものが分かります。
例えば教育学部だったら、「子どもの貧困問題をどのように解決したらいいでしょうか?」とかがあるでしょう。嫌らしい私だったら「道徳の教科化を学校現場はどのように有名無実にするでしょうか?それを踏まえて道徳の教科化を実のあるものにするために、行政はどのようなことをすればいいでしょうか?」なんて面白いですね。
判断基準は「お~凄い!」、「うん、ちゃんと勉強しているんだね」、「浅いな~」、「日本語になってないよ」の4段階で十分です。ただ、難点は、採点者が「浅い」人だと「お~凄い!」を「日本語になってないよ」に分類することです。あはははは
■ [大事なこと]生き残る人

授業中も使えばいいのに。そして、大学入試でも使えるようにすればいい。今の社会で必要な能力は何か、それを教師は直視することになる。
だって、学校の外は、そうなのだから。
ちなみに、地元の実践者はそれを授業で普通にやってます。
情報機器と張り合うのではなく、使えばいい。
産業革命の時に、機械を打ち壊した側は衰退し、利用した人が活躍した。それと同じ。
反対する論のルーツには保身がある。
教師の職能は2桁の足し算を上手く教えることではない。それぐらいは塾・予備校・通信教育で履修済みの3割の子どもでも出来ます。
そして、その教える子が情報機器を使って教えれば、もっと効率がいい。
でも、2桁の足し算を教えられる子どもも教えられないこと、それは人の道を語ること。それが教師の職能。それが分かれば、張り合わない。
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である(ダーウィンだと言われますが実は作者不明の名言)