■ [嬉しい]教師根性

ツイッターのタイムラインに、来年から上越教育大学で学ぶ学生さんのツイートが流れる。若々しい。彼らの前で講義したい!という気持ちがわく。まだ私の中に教師根性が残っている。それを「よし」としたい。
■ [大事なこと]顧客の創造

ちゃんとリサーチをすれば、今売れる商品を予想することは出来ます。最初に見いだした人は大勝ちします。しかし、早晩、それをまねる人が生まれます。初期占有率の高い人はそれなりに勝ち残りますが、パイは小さくなります。そして、やがて商品は飽和し、衰退します。
ドラッカーは「企業の目的は顧客の創造」だと看破しました。顧客は「今」の自分のニーズは知っています。しかし、「明日」のニーズを知っているとは限りません。そして、「来年」、「未来」のニーズを知る人は本当に少ない。だから、「明日」、「来年」、「未来」のニーズを様々に提案すべきなのです。
本屋に行き、教育関係の書籍を読むと見事に金太郎飴のように思えます。もちろん、扱っているジャンルは異なっていますが、読者層が同じなのです。一言で言えば、周りからの援助が弱く、大変で、でも、安易に逃げずにもがいている、でも、じっくりと時間をかける余裕を与えられていない人です。だから、「直ぐに」、「確実に」、「完全な解決」を求めざるを得ないのです。
昔は斎藤喜博、大村はまをじっくり読む人がいました。お二人とも授業名人として読まれたのではありません。授業名人を求める今とは違います。では、昔は授業名人を求めていなかったのか?もちろん求めていました。しかし、それは同じ学校の先輩、地域の先輩に求めていた。なにしろ、何度でも教えて貰えるし、慰めてくれるのですから。だから本には授業ではなく教育を求めていました。
私は現在の学校の抱える問題の最も根本的な原因は、職員室の協働性の低下、それによる教育力の低下だと思っています。そして、その原因はいびつな職員室の年齢構成だと思っています。
私は「今」のニーズに応える様々な本を書きます。でも、同時に、「明日」、「来年」、「未来」のニーズを様々に提案したい。それは教育の実証的データに基づく理論的整理と、学校・地域の協働性の復活に関するものです。
今度、本屋に行って本を読んで下さい。九割九分の本は「自分」の授業改善に関する本です。その存在意義は分かりますが、それだけでは出口は無い。
■ [大事なこと]不遜

「なぜ人は、目の前の絵の良さを頭で考えようとするのだろう。野に咲く花や草は考えずに愛せるのに。」とピカソが言ったそうです。もし本当だったら、ピカソは愚かで、不遜な人だと思います。
理由は簡単です。花や草は数十億年の生命の歴史が生みだしたものであり、我々もその生みだしたものの一つだからです。そして、我々はそれに対して興味関心を持つように設計されています。ピカソの絵はピカソという一人の人が生みだしたものです。レベルが違う。ピカソはおのれと数十億年の無数のトライアンドエラーの積み上げと同レベルに考えている。だから、愚かで不遜な人だと思います。
同じようなことを、様々な研究指定校の「本校の研究主題」の図や、アクティブ・ラーニングに関する構造図に感じます。見たとたんに、「根拠は何?」と言いたくなります。法や実証的データに基づかず、自分の思いつき、他人の思いつきによって、他人の子どもの人生に関わる教育をしようとしているのは不遜だと思います。