■ [大事なこと]頑張り

大学入試レベルまでは頑張りは有効です。しかし、一度、大学の専門に入れば頑張りではなく才能の問題です。大学院に入り、研究者になればハッキリと才能の問題です。これは吉本の芸人、プロ野球選手に置き換えれば自明だと思います。才能が無ければ、どんなに努力をしても花開きません。
才能があるか、無いか、これはやってみなければ分かりません。もの凄く努力して花開けば才能があり、花開かなければ才能が無いのです。問題は見切りの時期です。世阿弥は三十四五と看破しています。
オーバードクター問題、非常勤問題の記事を読むにつけ、暗くなります。今、オーバードクター、非常勤の方々を常勤として雇う余裕は大学にはありません。常勤の人の雇用さえも危ういのです。これは事実です。
博士課程も拡大時のモデルを捨てるべき用に思います。ようは天才であり、若くして抜群の結果を出す人だけを研究者に誘えばいいのです。
追伸 これを書くと嫌らしいと思いますが、私は修士2年の終わりに、平均的な准教授の業績を超える業績を上げました。私にとっては、難しいことではありませんでした。その後も、業績を上げられない人の理由が分かりません。平均的研究者の十倍の業績を上げ続けています。家族と毎日晩酌して、睡眠を十分に取った生活の中でです。
■ [大事なこと]研究者

あることを調べていて、たまたま東北大学がブラックであると評価されていることを知りました。しかし、その東北大学を叩く記事を読んでいて、「あたりまえじゃん」と思う私がいます。私にとっては、情実が入らず、実力主義の世界はシンプルで好ましく感じます。
研究者の世界は吉本興業の芸人の世界と似ています。勝者は総取り、敗者には何も残されていません。だから秀才ではなく天才が死ぬほど努力して勝者になる世界です。秀才か天才かは事前に分かりません。死ぬほど努力した後に勝者になるのが天才で、敗者になるのが秀才です。だから研究者になる道を選んだら、皆、死ぬほど努力するのです。
東北大学の記事を吉本興業に置き換えたら何の問題もないと思います。もともと吉本興業はブラックであることはよく知られていますから。東北大学、いや、正確には研究者への道がホワイトだと誤解されていることの問題のように思います。
もちろん、記事を読んで、こりゃ問題だよなと思う事例もあります。しかし、それは教員個人の問題のように思います。研究室を選ぶということは、人生の中の何年間を賭けることです。そして、研究者を志望する人の場合、人生を賭けることです。少しでもリサーチすれば、その教員はどんな教員であるかは直ぐに分かります。ブラック教員は同じことを何度も繰り返しますから。被害に遭った方には可哀想だなとは思いますが、同時に、何故リサーチしなかったのか?とも思います。
研究者の世界はヤクザな世界です。ましてや大学がシュリンクする時代です。我が子に勧められません。あれは、それ以外の選択肢がないような人の道です。ちなみに私は高校教師をドロップアウトしたから研究者になりました。教師としての成功者が研究者になるわけありません。