■ [う~ん]トラウマ

私の教師としての原体験は定時制高校です。そこで、最高の人間関係が結べたと確信できた担任クラスが、私が大学に異動した後にがたがたになり、その原因が自分にあることを自覚できる私がいます。だから、子どもと濃密な人間関係を持つことが怖いのです。
だから、この時期が怖いのです。一人一人の子ども(40歳の現職も含めて)が私の所に来て最後の挨拶をするときの私の心の動きを、私がモニターしてしまいます。ましてや子どもがウルウルしていると、私の心の堤防が決壊しそうになる。しかし、それに対して恐れがある。
だから、子どもを送り出すとき、感情を素直に出している場面をFBで知ると、うらやましいな~と思うと同時に、怖いな~っと思う自分がいます。だから、淡々と時を過ごしています。
追伸 その反省に基づいて、『学び合い』は構築されています。カリスマ教師、熱血教師、教材大好き教師の恐ろしさを知っています。ま、それ故、少なからざる人から蛇蝎のように嫌われます。とほほ
■ [大事なこと]何が変わったか?

大学生の学力低下を指摘する声はあります。単純なのは「分数も出来ない大学生」という表現です。しかし、その原因は何でしょうか?
私は小中高の教育の問題ではないと思います。そもそも分数の出来ない高校生だったら昔からいました。ちょっとひねって、水溶液の濃度の問題でやれば、半数以上の高校生は解けません。むかしから。何が変わったのか?原因はそのレベルの子どもも大学に進学するようになったのです。ようは大学がそのレベルの子をかき集めなければやっていけないのです。試験制度をどういじくっても、そのレベルの子どもを大学に受け入れるならば、状況は変わりません。
どうしてミクロに分析するのだろう。マクロに見れば自明なのに。
子どもだけではありません。我々大学教員も同じです。昔だったら、専門学校レベルの子どもを教えていた人、高校教師レベルの人が大学教師になっているのです。だったら、専門学校や高校教師レベルの授業をするしかありません。
追伸 大学教師が学生に分数を教えることより悪夢なことがあります。子ども達がそのような大学に進学する意味を感じなくなり、分数が分からない程度の子どもすらも進学しなくなることです。それが大学人にとっての本当の悪夢です。それを一日でも長く先延ばしにする方法は、専門学校や高校教師レベルの授業を黙ってするしかありません。
http://www.sankei.com/column/news/160325/clm1603250008-n1.html