■ [親ばか]入学式

息子の高校の入学式に参加しました。1ヶ月弱前の中学校の卒業式と微妙に違うのを感じます。中学校の卒業式の時には、息子が成長したな、と感じました。しかし、今日の入学式では、大人に近づいているのだな、と感じました。
■ [大事なこと]声

本日の入学式では、校長の式辞を楽しみにしていました。きっと良い式辞を語っていただけるだろうと思っている方なので。
期待通りでした。内容は型通りです。しかし、声が良い。自分の語ることに関して、願いと確信を持つ方の声は違います。心地よかった。
式辞の後に、「ね、よかったでしょ?」と家内に話したら、大きく頷きました。
■ [大事なこと]日本人

朝のNHKのニュースを見ていたら、外国人労働者の確保のことが扱われていた。ニュースでは外国人労働者を確保しやすい環境を整えるべきだとまとめられていた。「違うだろ」と心の中で思いました。今、年収170万円の非正規採用の子ども達が世の中にどんどん出ています。その子達こそ、そのような職業に就くべきです。小中高のキャリア教育を抜本的に変えるべきだと思います。
アクティブ・ラーニングによるキャリア教育入門(http://goo.gl/RuI2qE)
追伸 願わくば、ミャンマーやベトナムの人と机を並べて縫製作業にいそしみ、彼らの言葉を学び、ビジネスチャンスを見いだすぐらいのローカルエリートが生まれて欲しい。
■ [大事なこと]英語力

荻原雅之さんは文部科学省の調査(http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1369258.htm )から英語の英語力(英検準1級以上の教員比率)と生徒の英語力(英検準2級程度以上の高校3年生の比率)に相関がないことを明らかにしました。爆笑というか、痛快ですね。「教師の教科の力量を高めれば子どもの学力が高まる」というナイーブ(素人的)な俗説を否定する結果を文科省のデータからだしたのですから。
多くの教師にとっては理解不能だと思います。それは、「全ての子どもにフィットした教え方がある」という学術的にはあり得ない俗説に染まっているからです。さらに、「教科の力量が高い方が教授能力は高い」という、これまた学術的にはあり得ない俗説に染まっているからです。おそらく、ツチノコの存在を信じるより無茶な話しです。何故なら、先の二つは誤りであることが学術的に証明されているのに対して、ツチノコの存在は学術的に否定されていませんから。
認知的能力の離れた人の説明は分からない(いわゆる専門家の話は分からない)。
小中高の全ての教科において、教師は学力的に中の下に合わせた授業をする(少なくとも殆どの時間)。
塾・予備校・通信教材によって教師の語る中の下に合わせた授業が退屈な子ども。おおよそ3割はいます。
つまり、教師の教科の力量の多寡に関わらず、最初から授業の意味がない子どもが5割を占めています。
残りの5割の3割は先の2つに近い状態なのです。
つまり、もともと今の授業では教師の授業能力(狭義の意味で)が影響する子どもはごく一部なのです。
次に、中の下に合わせた授業づくりに教師の高い教科の力量が必要でしょうか?中の下の子どもの場合、単純なドリル学習の方が有効です。だから多くの教師は「繰り返し」を多用した授業をします。
他にも色々と理由がありますが、という理由から教師の教科の力量は子どもの学力にあまり影響しないのです。
します。
それは、子どもの勉強しようとする気持ちに火をつける能力です。結局、テストの点数を上げたいならば、本人があげたいと思わなければなりません。
先に挙げた教師の英語力と子どもの英語力の関係図によれば千葉県が飛び抜けて子どもの英語力が高いという結果が出ています。千葉の先生方には悪いですが、集団としての教師の力量(広義の意味で)が他県に飛び抜けて高いとは思えません。となると、もう一つの要因が考えられます。それは千葉県では子どもに対して英検を受験しなさいということが求められていることが予想できます(あくまでも想像です)。
どんなに子どもの心にやる気の火をともせる教師の下で学ぶ子であっても、英検準2級(同等の何か)を取ることを求められなければそうなりません。