■ [大事なこと]今後のこと
今、教員養成系学部に在籍する教育系教員の中で40歳より若い人の将来をボーッと考えました。
私には二つの面があります。二百近い学術論文を書き、多くの学会から賞をいただき、学会誌編集委員長や学会長を務めている研究者という面です。
もう一つは、五十以上の教員向けの本を書き、日本中で講演している面です。おそらく、これを読む人は後者しか知らないと思います。
研究者のコミュニティの中では「西川さんは変わったことをやっている。研究者としては終わっている」と言われているかもしれません。それは分かっています。しかし、私は何かを明らかにすること以上に、何かを変えたいと思っているから。でも、いずれにせよ研究者としては朱鷺なみに珍しい存在だと思います。
今、国立の教員養成系学部は教職大学院に全面移行で大荒れです。でも、結局、学部担当専任に移行する人が半数近くなるのが最終的なものでしょう。でも、そんなのは序章に過ぎません。次は有期雇用に移行するのでしょう。そして、次は多くの人が「クビ」になる。そんなことが今進行中です。大学の半数以上が、今の職業科高校に移行するのですから。
そんな中で生き残るのは私のような「変」な研究者です。でも、まだ教育関係は「変」になれば生き残れる。教科専門は生き残れる余地がない。
多くの大学人には意味不明なことだと思います。今、何が起こっているか、知らない。
■ [大事なこと]何のため
ツイッターに『学び合い』などのファシリテーションを使った授業が上手い人は一斉指導も上手い、だから一斉指導の指導力を伸ばしたらいいのではないか、と。
その通りだと思うところがある。『学び合い』の上手い人は一斉指導も上手い。だって、子どものおだて方、脅し方のツボどころを知っているのだから。私も一斉指導だったら何も考えずに何時間でも授業が出来る。
が、それでは子どもの未来が暗い。一斉指導では仲間は生まれない。
それに教師の未来も暗い。今後、ICTの広がりで教師の職能と言われていた所は奪われます。その中で生き残るためには、何が必要か?それを考えねばなりません。簡単な理屈です。一方向的授業ならば放送に置き換えられます。そんな授業だったら名人授業を流せば良い。定型的な問題に対する評価だったら人工知能に置き換えられます。教師の研修会で話題になっているのは、ほぼ、そればかり。
そして、民主主主義によって権利をよく知っている保護者が求めてくる。非常に礼儀正しく、そして理路整然に。
■ [大事なこと]その先
ツイッターを見ていると面白い意見がある。曰く、アクティブ・ラーニングや『学び合い』(その人は二重カッコを使っていなかった)が進めば、必要な教師の数は少なくなり、使えない教師の居場所を無くすことができる。これが文部科学省の意図ではないかと書いている。
まず、教師の数を減らすことを財務省は狙っているかもしれないけど、文部科学省が狙っているとは考えられない。だって、教育の規模縮小は自分たちの規模縮小と同じだから。
仮に、『学び合い』が広がれば、今の授業に必要な教員の数は少なくなります。まあ、2分の1、3分の1でも十分に大丈夫です。しかし私は規模縮小には進ませたくないし、使えない教師の居場所を無くそうなんてしたくない。
私は人の能力はその人の能力というより周りの人との関係によって決まるものだと思っています。だから、良き関係を生みだせばみんな活躍できる。合同『学び合い』は定常的に楽に教師同士の『学び合い』が出来る。そこで膨大な雑談をして、その上で職能を高め、自己開示できればみんな活躍できる。
『学び合い』が広がれば、今の授業に必要な教員の数は少なくなります。でも、それは今の授業に必要な教員の数なのです。今は教員がやっていないこと、それを早急にやり始めなければなりません。じゃあ、それは何か?
第一に、個別指導です。『学び合い』の授業では教師がゴチャゴチャやらなくても動きます。例えば、中学校で週3時間の教科があったとします。5人ぐらいを教室の後ろに集め、そこでゴチャゴチャを話すのです。それを2週間ぐらいでローテーションします。
ちなみに私のゼミではそれをやっています。集団的個人ゼミです。話題としては個別の興味・関心のあることを私と話すのですが、その場をみんなと共有するのです。何故、一対一にしないか。第一に、一対一にすれば、ローテーションの頻度が少なくなります。手間がかかるからです。第二に、一対一にすれば、子どもは教師に甘えます。そして手を抜きます。集団でやればそれが無くなる。第三に、その子の悩みを集団が共有することが出来ます。私の説明でその子が分からなくても、私の説明が分かる子が後で説明します。
今の授業の労力が小さくなることによって出来る第二のこと。それはキャリア教育の充実です。これを実現するには地元の優良企業はどこであるかを教師が知り、その経営者と繋がりを持たなければなりません。これは職員集団が協働で行い、時間をかけて構築します。各教員、週に1日は外回りをすべきです。今後の子ども達の幸せはローカルにあります。そのローカルを教師が知らなければなりません。
第三は、エリートとして羽ばたこうとする子どもに指導できるような能力の育成です。今後の子どもはしっかりしたキャリアイメージを持っているかをエビデンスで保証できる子がエリートとなれます。その様な子のために、NPOに繋がりを持ったり、懸賞論文の指導、英語検定の指導できたり出来る教師にならなければなりません。これは小学校教師も同じです。
『学び合い』ではあるべき教師の姿を校長に置き換えれば分かると説明します。考えてください。
外回りが多い校長で予算を獲得し、他の組織との繋がりをつくってくれて、自分の人事を任せられる校長。
外回りは殆ど無く、予算、繋がり、人事の影響力は少ないです。その代わり、校内の花畑の世話をして、挨拶運動では職員の中で一番最初に校門前に立ち、一人一人の卒業証書を手書きの毛筆でつくる校長。
両方出来たら凄いですが、どちらか一方と言われたら、どちらを選びますか?私は前者です。