■ [大事なこと]術中
バリバリの一斉指導をしていたころの小技です。
広口瓶に火のついたロウソクを入れます。カラス板で蓋をします。その間、黙っています。しばらくしてロウソクは消えます。一拍おいて、「何故、ロウソクの火は消えたの?」と聞きます。
子どもが「酸素がなくなったから」と答えたら、別な子に「何が増えたから消えたの?」と聞きます。そうすると「二酸化炭素が増えたから」と答えます。
子どもが最初の質問に「二酸化炭素が増えたから」と答えたら、別な子に「何がなくなったから消えたの?」と聞きます。そうすると「酸素がなくなったから」と答えます。
つまり、子どもがどんなことを考えていても、いなくても、強制的に「酸素がなくなったから」という答えと、「二酸化炭素が増えたから」という二つの発言を引き出すのです。
そこで、「あれ、「酸素がなくなったから」という子もいるし、「二酸化炭素が増えたから」という子もいる。さて、どちらが正しいの?」と問いかけます。子どもはそんなこと考えたことありません。そもそも二者択一だと思ったことも無いと思います。「さて、どっちが正しいの?」と煽れば、子どもが動揺してざわつきます。そこで、「じゃあ、どちらが正しいのかを証明する実践方法はどんな方法が考えられる」と問いかけます。かなり高度な問いです。
これが一連の流れです。一見、子どもの発言によって授業が進んでいるように見せていますが、彼らの考えが入る余地なく、教師の思ったとおりに子どもは動きます。私の心の中では「ほらほら、私の術中の中にはまった。」とほくそ笑んでいました。
さて、この一連の流れのテクニックを子どもが知ったとき、どう思うでしょうか?そして、最初の私の質問に対して「酸素がなくなったから、と言うと、別な人に、何が増えたからって聞くんでしょ?」とオチまで明かしたら授業が成立しますか?そうなったら、賢い子どもの術中に教師がはまります。
さて、『学び合い』も初期段階にはテクニックがあります。例えば、可視化があります。具体的にはクラスの中で間違えた答えで満足している子がいたとします。今までの教師だったら自分が教えます。ところが『学び合い』では「あれ、これって変じゃないかな~」と大きなつぶやきをします。これによって周りの子がその子に近づいてきて教えることのきっかけにするのです。さて、このテクニックのことを本で読んだ子がいたとします。その子が『先生は「あれ、これって変じゃないかな~」って言うんでしょ?』と言ったとします。そしたら満面の笑顔で「正解!では、それを気づける君が出来ることは何かな?」と大きな声で言えば良いのです。
なんで、これだけの違いが生まれるのでしょうか?それは、今までの授業は子どもは子どもの立ち位置を守ることを期待されているからです。だから、本を読んで教師の立ち位置を理解し、それを先回りされると困るのです。ところが『学び合い』では、子どもは教師の立ち位置に立つことを期待されています。だから、子どもが先回りしても、何ら問題はなく、いや、ありがたいのです。
追伸 名人教師と言われている先生の授業も見ました。そして、その先生は子どもの発想を大事にした授業作りをしていますと言いました。周りの先生は大きく頷きました。しかし、私は子どもの発想が殆どなく、教師の術中に子どもが踊らされているとしか見えませんでした。
■ [大事なこと]なんでも
私はゼミ生に対して、ありとあらゆることを喋ります。何故なら、嘘をつきたくないからです。嘘をつけば、必ず、バレることを知っています。バレたときに私への信頼が傷つくことを恐れます。
書店に並ぶ教師本の中には、これを子どもが読んだらどう思うのだろうか?と思うような本もあります。数人は読むでしょう。そして2割の子は理解します。
子どもを思ったとおりのシナリオで動かし、してやったりと思う教師が読んでいる本を子どもが読めば、馬鹿にするなと思うのではないかと思います。
指導案に「予想される子どもの反応」というものがあります。「予想つくわけないじゃん」と『学び合い』では思います。少なくとも個々人レベルは。しかし、予想通りになるように矯正するのが今の授業。でも、矯正している内実を子どもが読んだら、子どもはどう思うのだろう。
■ [嬉しい]『アクティブ・ラーニングを実現する!『学び合い』道徳授業プラン』
『アクティブ・ラーニングを実現する!『学び合い』道徳授業プラン』が2刷りになりました。感謝です。前にも書きましたが、今までの道徳では「そうすべきだ」と思わせることは可能です。しかし、実際に行動には至りません。行動変容が起こるためには集団との関わりが必須状況です。ですので、『学び合い』以外無理だと不遜にも思います。