■ [大事なこと]芸人

若い頃、教師は芸人だと思った。そのために話術を磨き、面白話を練り上げ、子ども(つまり客)のいじり方を学んだ。でも違う。教師は芸人とは違う。
根本的な違いはさておき、一つのことを考えてほしい。
いかなる芸能も、それを観るか観ないか、聴くか聴かないかの選択権は客にあります。例えば、テレビにはスイッチとチャンネルがあります。
もし、その芸を選択した客だけを相手にしたならば、その多くを満足させることは出来るかもしれません。しかし、選択権を奪った客の多くの満足させることは不可能です。
未だかつて視聴率100%の番組はありません。30%をキープしたら立派なものです。
教室の子どもには選択権はありません。つまり芸人にとって最高に難しい客なのです。そんなハードな場で、素人の教師が何ほどのことが出来るでしょうか?
つまり、教師は芸人になれるわけがないのです。
何故、そんなことが分からないのか、と思います。が、過去の自分を思い起こせば分かります。人は、自分に都合のよい情報を自動的に選択するようにプログラミングされているのです。
追伸 ま、子どもが教師を選べるようになれたら、それは可能かもしれません。しかし、それは多くの教師とってホラーでしょう。
■ [お誘い]中級編

8月5日に明治図書より2冊の本が出ます。私としては初めての中級編の本です。つまり、『学び合い』の外の本を読み、『学び合い』実践が出来ている人が、その先を目指すための本です。いつもながら、発売当初、ネット注文は混雑します。お近くの書店に電話注文することを勧めます。http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160564
■ [嬉しい]イジメ

『学び合い』の同志から以下のメールをいただきました。
『今年度は、3年・4年・5年といじめ等で苦しんでいた6年生の学級を担任しております。去年までいじめにあっていた子が、こんな作文を書いてくれました。
1学期でがんばったこと、2学期のめあて
ぼくが1学期でがんばったことは、5年生の時にはみんなとうまく仲よくできませんでしたが、6年生の1学期には、じゃんじゃん友達がよってくる感じで、自分自身でも自分の存在感を感じることができました。とても自分とは思えないほど、仲よくできました。その時は、今までのことが消え去るように感じました。とても気持ちよく1学期を終えることができました。
そして、ぼくの2学期のめあては、もっと友達と関わりたいということです。』
これを読んだとき、うれしくて涙が止まりませんでした。
しかし、次には、その子どもの3年間の苦しみを考えると心が痛みます。どれほどの子どもが苦しんでいるかと思うと身がよじられます。
その同志も自分のクラスが上手くいっているが、壁一つ隔てたクラスで苦しんでいる子どもがいることを知っていました。そして、解決する方法も知っています。でも、どうしようもない自分に自責の念を感じています。
耳が痛いかもしれませんが、イジメの原因は教師です。
イジメがクラスにあったとき、大抵の教師はイジメの加害者や被害者を呼んで、状況を聞き出し、それぞれに指導をすると思います。何故でしょうか?それはイジメの原因は、加害者や被害者の個人的なパーソナリティにあると思うからです。
ここで職員室に置き換えて下さい。同僚の中にはウマの合わない人はいるものです。恥じる必要性はありません。そのような人が一人もいないという方が異常です。その中には、ムカムカするほど嫌いな人がいるかも知れません。あなたはいなくても、あなたの同僚の中に、そのような人が同じ職場にいる人もいるでしょう。
では、あなたの職場で以下のような人がいるでしょうか?
「無視」を半年以上し続けており、会話は全くない。
校舎の裏手で、同僚に暴力をふるう。
同僚の持ち物を隠したり、トイレの中に捨てる。
おそらく、いないと思います。ではどうしていますか?おそらく、それなりに必要なときは会話をして、仕事を一緒にしますが、出来る限り距離を置いている、つまり関わらないようにしていると思います。何故でしょうか?それは、それが一番楽だからです。
子どもも同じです。無視をしたり、暴力をふるったり、ものを盗むには労力がかかりますし、リスクもあります。だから、普通だったらそのようなことはせずに距離を置くほうが楽なのです。
つまり、原因は気にくわない等の個人的な感情ではありません。わざわざ労力とリスクの必要な方法を採るかということを探らなければならないのです。
何故、イジメが起こるのでしょうか?これを考えるにはドイチェという人の「競争と協同の定義」が参考になります。彼によれば、両者の決定的な違いは、競争の場合は、一部のメンバーにしか達成出来ない目標を与えていることを指します。例えば、相対評価の通知票で「5」を取ろうという目標がそれにあたります。この場合、誰かが目標を達成するということは、誰かが目標を達成出来ないということと同値です。一方、協同とは、全員が達成出来る目標を与えていることを指します。例えば、絶対評価の通知票で「5」を取ろうという目標がそれにあたります。この場合、全員が目標を達成することが出来ます。
学級崩壊しているクラスにイジメはないと言われます。何故でしょうか?それは学級崩壊しているクラスの教師には権威がありません。だから、その教師が競争的な課題を与えたとしても、イジメをするほどの価値を持たないからです。
従って、イジメのあるクラスは、圧倒的に影響力を持つ教師のクラスに起こります。ある先生の場合は、指導力のある先生と周りから評価される先生かも知れません。また、子ども達からアイドル的な教師かもしれません。
他の教師や子どもや保護者から賞賛される、そのことがイジメの原因になるのです。
だから、教師の立ち位置の違う『学び合い』ではイジメは解決します。
あ~。私にもっと感化能力があれば。
ま、セオリー通りです。みんなでやるしかないのです。