お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2016-08-11

[]高校英語 10:54 高校英語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高校英語 - 西川純のメモ 高校英語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先だって、「高校英語の教科本を書いていただける方いませんか?」と募集したところ、お二人の方が手を上げていただきました。お二人とも、実践して日が浅い方です。私の「やりはじめて1年ぐらいの方も、大歓迎です。なぜなら入門者の気持ちを一番分かるのは、あなたですから。」を理解していただきました。

 普通、何かの本の執筆を頼むとしたら、長年その道を深めた人に頼むのが常道です。でも、『学び合い』の場合はそれにとらわれません。理由は二つです。

 第一に、『学び合い』の理論も方法論も確立されています。だから、その通りにやれば、その通りのことが起こります。それは初心者でも同じです。

 第二に、そもそもその道を深めた人の実践は、初心者が扱えるわけありません。『学び合い』はより知っている人、よりうまい人が最高の教え手ではないことを前提としています。学び手と教え手の認知的距離が適当なときに教授/学習は成立します。今回の本は、これからやろうとしている人です。だから、日の浅い人でもOKなのです。

 『学び合い』の基礎となる学術研究は二十年以上の蓄積があります。そして、実践研究も二十年以上の蓄積があります。しかし、『学び合い』実践者の広がりは急激です。そもそも5年以上実践している人は、全『学び合い』実践者の1%もいません。私が執筆を依頼すると「私なんかでいいのですか?」と聞く方が多いです。その方には「だからいいんです」と言います。

 『学び合い』を深めれば、その人独自の発展があります。しかし、初心者向けの本は基礎・基本に徹するべきです。つまり、「短く語り、はい、どうぞ、短くまとめる」の繰り返しです。そのようなシンプルな実践をまとめたいのです。

 再度の呼びかけです。高校英語を書いてみようとする方いませんか?「こうやったら失敗した」というもの大歓迎なのです。そのような失敗を乗り越えたものは、多くの人がリアルにイメージが出来ます。

 手を上げてくれた人たちで、ちょっと時間をかけて作りましょう。つまり、つくりながら学べばいい。

追伸 こんな本の作り方って、『学び合い』だからだろうな。

[]なんのために 08:59 なんのために - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なんのために - 西川純のメモ なんのために - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師となり暴走族相手に物理の授業をしました。子どもたちから「純ちゃん。なんで物理を勉強するの?」と聞かれました。大学、大学院で教えてもらった、ありとあらゆる学ぶ意味を語りました。しかし、それらは単純な事実と、単純な論理によって、きわめて論理的に論破されました。理科嫌いの女性として結婚し、同じような質問を受けました。そして、暴走族相手と同じ事実と論理で論破されました。大学、大学院で私が学んだこと、それはその業界の人だけ納得する理由で、その業界以外の人には通じないものであることを知りました。

 私はもがきました。しかし、高校教師時代にはその答えを見いだせず、面白い授業、わかりやすい授業(正確には分かった気にさせる授業)を行いました。しかし、それは嘘であることは自覚していました。学ぶ意味を本当に理解させない限り、どんな授業も教材も無意味です。

 大学に異動して、高校教師時代の宿題をなんとか解こうとしました。山ほどの本、論文を読みました。しかし、そこにはありませんでした。そこにあるのは大学、大学院で学んだことと同じで、その業界の人だけが納得する理由です。そして、驚いたのは、教師が読むような教科指導本、教科部会や自主的研修会で語られていることも、その業界の人だけが納得する理由ばかりです。

 やがて『学び合い』に至りました。教科の枠内では、絶対に学ぶ意味を語れません。もちろん、一部を納得させ、多くを黙らせる理屈だったら、業界以外の人には通じない理屈で十分です。しかし、大部分を納得する理由にはなりません。そのような理由であれば、暴走族相手でも納得するはずなのです。大部分の子どもは暴走族と同じで、学ぶ意味を納得していません。ただ、暴走族と違って黙っているだけです。それは教師である我々も同じです。自分が嫌いだった教科のことをどう思っていたでしょうか?

 アクティブ・ラーニングという言葉が広がって2年。本屋に行けば、教科の棚に「アクティブ・ラーニング」と銘打った本が続々出ています。立ち読みし、本棚に戻します。なぜならば、そこに書かれているのは、その教科の人たちは分かるだろうが、他の教科の人には理解できなかったり、共感できない事実・論理で書かれているのです。つまり、国語を学ぶためのアクティブ・ラーニング、算数・数学を学ぶためのアクティブ・ラーニング・・・です。そのような本が大部分です。(全部ではありませんよ)

 非常に残念です。

 是非、次期学習指導要領の諮問、論点整理を読んでください。とくに美辞麗句に過ぎないとしか思えない前半をお読みください。ただし、それで終わりではダメです。そこに書かれているキーワードに関する本を読んでください。ただし、教育の棚以外の棚にある本を選んでください。また、ネットで検索すれば定評のある本を見いだせるでしょう。そして、子どもたちが生きる世界、そして我々が老後を過ごす世界を想像してください。

 今、学校で教えていること、それが本当は意味がないこと(少なくとも万人すべからく学ばなければならないことではないこと)はみんな知っています。教師もそれを知っているのです(これに関しては実証的なデータを持っています)。じゃあ、保護者や子どもが、何故それにつきあっているのでしょうか?そりゃ、「進学のためになる」、「就職に有利」と思っているからです。ところが、今、その前提が崩れています。

 早く、脱皮せねば。

 日本は長らく「土地神話」がありました。今でも、それを信じている人がいます。でも、ちょっと頭を働かせれば、人口が減っていく日本の土地が高くなるわけがありません。価格は受容と供給のバランスによって決まります。必要とする人が減るならば値段は下がるに決まっています。それに駅前のシャッター街を見れば自明です。

 日本は長らく「学歴神話」がありました。教科学習はその神話によって立っています。ところがアカデミズムの高学歴を必要とする人は減ります。なぜなら、中間管理職、中間研究者等の中間層が不要になるからです。それらは人工知能、ネットを通した海外への外注でまかなえるからです。

 先に挙げている美辞麗句はそのことを品良く書いているのです。あの言葉の「社会」を「経済・産業界」と一括変換すればわかりやすくなります。

 私は早く学歴バブルをはじけさせたい。そうすれば、より多くの子どもが救われるから。

 土地バブルの末期には、バブルが崩壊することは警告されていました。庶民も知っていましたが、信じませんでした。なぜなら、多くの庶民はバブルが崩壊する理屈が分からないから。そして、その理屈が分かる人が売り抜けました。同じように、学歴バブルがはじけることを知っている人が庶民に学歴を売りつけて売り抜けようとしています。つまり、自分が退職するまで引き延ばそうとしています。引き延ばした結果として、二束三文になる学歴を500万円で買う子どもたちの未来は考えないようにしているのでしょう。きつい言い方ですが、「国語を学ぶためのアクティブ・ラーニング、算数・数学を学ぶためのアクティブ・ラーニング・・・」は共犯者です。

 だから、教育村、学校村の外から教育・学校を見られる人を増やしたい。そして、早くバブルをはじけさせたい。そして、希少性に基づく富(例えば東大卒業)ではなく、自らが自らの価値観を生み出し、それに基づく価値を求めて欲しい。それが出来るのは、日本国首相ではなく、教師です。