■ [大事なこと]厳しい
ゼミ決めの面談期間には色々な学生さんから色々な質問があります。その中で困った質問がありました。「西川研究室は厳しいですか?○○研究室は厳しいと聞いています。○○研究室は厳しくないと聞いています。西川研究室はどのあたりですか?」というものです。そこで、「君の考える厳しさとはどんなもの?」と聞くと、「ゼミの回数とか・・」と言います。ま、曖昧な返答で濁しました。言っても分からないからです。
私は𠮟りません。ゼミを寝坊して遅刻しても呆れますが、𠮟りません。ゼミ中にカップラーメンを食べたり、寝転びながら私と話します。でも、私は気にしません。
ゼミ生からは面倒くさいオッサンとみられています。彼らと接する九分九厘の時間は馬鹿話をしています。女子学生のいないときは中学校レベルの下ネタ(つまりドロドロしていない下ネタ)を連発し、ゲタゲタ笑います。賢い中学生レベルのイタズラをして、それが図に当たると大喜びし、スルーされると落ち込みます。どう考えても厳しくない。
でも、「日本を変えろ」と檄を飛ばします。そして、ゼミ生たちはものすごいことをやり続けます。頭が下がります。その姿を見れば厳しいゼミとも言えます。
このことは西川ゼミに入らないと分からない。強いて分かるとしたら、クラス全員満点という課題を与えられた『学び合い』クラスでしょう。炎天下でグラウンドを走る高校球児に辛いかと聞けば辛いと言うでしょう。でも、嫌かといえば否定するでしょう。そんな感じです。
来週はゼミに入る学部2年生の新歓コンパを兼ねての忘年会をします。もしかしたら、「我々は日本の教育をリードする集団だ」というようなことを言うでしょう。新ゼミ生はポカンとしているでしょう。でも、「はいはい、分かっていますよ」というゼミ生の顔を見れば、新興宗教の集団に思うかもしれません。ま、今は分からない。でも、だんだん分かるようになる。ふぉふぉふぉ
■ [大事なこと]変化
私は
最初は、いい授業をしたかった。
次は、子どもに分からせたかった。
次は、子どもを幸せにしたかった。
次は、子どもの一生涯を幸せにしたい、正確には、不幸にしたくない。
今は、日本人の一生涯を幸せにしたい、正確には、不幸にしたくない。
さて、次はどこに行くのだろう。いずれにせよ、ずれが大きすぎるな。
追伸 今のところは、いい授業のための本を書いています。
■ [大事なこと]変な教師
今日は学部学生のゼミ決めの面談期間の最終日です。
色々な学生さんと話しました。
新鮮です。
ある学生が「西川先生のやっていることは採用されてから役立つことで、採用されることに役立つことではないですね。」と言いました。
心の中で「う~ん」とうなりました。
きっと学生コミュニティーの中での一つの了解事項なのだと思います。
たしかに、私は採用されるためには、「ド暗記をして」、「必要最低限のテクニックを覚えること」と見切っています。たった数日の評価で、それ以上の選抜は出来ません。
でも、採用されてから生き残れるか否か、成長し続けられるかは別なことが大事だと思っています。ということを思っている大学教師はごく少数だと思います。
■ [大事なこと]ヴィジョン
今、特別支援関係の本を書いています。最終的にどのようになるか見当もつかないで書いているという私としては希な執筆過程です。一緒に書いているFさんと議論すると、多くのことを学び、新たなヴィジョンが見えてきます。
中高年の障害者の未来は厳しいものがあります。知れば知るほど苦しくなる。だから、保護者はそれを知りつつも考えないようにしています。「やれるだけはやっている」と。ましてや義務教育の特別支援の先生は考えないようにしています。「九九を覚えさせて、買い物が出来るようにすること」と問題を矮小化させています。仕方がありません、解決できない問題を直視し続ければ心がやみます。
でも、ヴィジョンが見えてきました。泣きながら私に訴えかけてきたFさんの心にも一条の光を与えられるヴィジョンです。予算は必要なく、いや、予算を削減しつつ中高年の障害者の未来に光を与えられるヴィジョン。あとは、そのヴィジョンをより多くの人に伝えられるか、です。
『学び合い』実践者だった、基礎的な情報を与え、ヴィジョンを持ってもらえれば妄想をもってもらえる。ただ、子どもを抱え込むことによって子どもを守っている保護者と教師に共感してもらうにはどう書いたらいいか、悩むところです。
子どもの幸せに繋がることを自分がしていると実感するとき、自己憐憫から解き放たれます。さて、いつ書き終わるだろう。