■ [大事なこと]慣れ
昨日は同志と吞みました。最近、『学び合い』がうまくいっていないので、状況を聞きました。直ぐに分かりました。子どもたちに対して、否定的な言葉があったからです。もちろん、非難する香りはありません。ただ、前の子どもたちと違うことを感じているということです。
これは『学び合い』の実践年数が長い人にありがちな状態なので書きます。
初めて『学び合い』にトライするとき、また、学校が変わり心機一転で『学び合い』をするときは、セオリー通りのことをします。つまり、私の本に書いてある入門者がやるようなことをやります。そして、セオリー通りに子どもたちは変容します。
ただ、同じ学校の別な学年、クラスを担当するとき、最初のセオリー通りのことを省略してしまうのです。何故かと言えば、昨年の子どもたちの3学期にはそれを必要としないからです。その延長上で、3学期段階のことを1学期の最初にやってしまう。これではうまくいかないのは当然です。だから、最初はセオリー通りの、言葉がけ、評価を「くさい」ぐらいやらなければなりません。
でも、うまくいかない肝はそこではありません。心が備わっているならば、セオリー通りにやるよりは時間がかかりますが、やがて変容します。
うまくいかない肝は、昨年度の子どもと比較して、今年度の子どもの評価が低くなる点です。同志に、「大人の心を見透かす2割の子どもがいる。その子どもの動きが悪いとしたら、それはあなたの心の問題だよ」と言うと、直ぐに納得してくれました。
何年『学び合い』を実践しても、最初はセオリー通りにやるべきです。その方が安全です。『学び合い』経験が長くなればなるほど、その期間が短くなります。心が備わっているからです。
なお、西川研究室に対して、私はセオリー通りのことはしません。なぜなら、既に分かっている集団の中に新規参入者が包摂されるような異学年集団を形成しているからです。本当は、小中高もそうすべきだと私は思っています。
そして最後に、抜群の結果を出すことを求めました。新たなことをする人は説明責任があります。管理職はもとより、子どもや保護者にも分かりやすい説明が出来なければなりません。だから、明治図書の学力向上テクニック入門の通りのことをやって抜群の結果を出すことを求めたのです。
■ [う~ん]都会
昨日、私は都会の真ん中で生きるのは辛いなと実感しました。
SFの世界に人の心が読める能力がある人の話があります。決まった人の心を読めるならば良いのですが、近くにいる人の心の声がドッと入ってくるので混乱するというものです。私もそんな気持ちです。都会にいけば、様々な人の姿が見えます。それも幸福ではなさそうな人たちの姿が。それを見ていると、その人の気持ちを想像し、それが苦しくなるのです。
もう一つありました。
上越で吞む場合は、吞んだ後はタクシーか代行に乗って15分以内に自宅に帰れます。
昨日は、11時に呑み終わってから、電車に小一時間揺られてホテルに到着です。ビックリしたのは、そんな時間の電車に人がいっぱいいました。都会の人は凄いと思いました。上越だったら、本当に静かで、人々は寝ている時間に吞んで、電車に揺られている。
東京から離れて三十年。地方の人になりました。
追伸 酒も料理も気配りも最高のお店で大満足でした。