■ [大事なこと]複線化

非正規雇用の人の年収は170万円で昇級・福利厚生がない。女性に限っていえば年収は140万円。実に厳しい。
おしかりを覚悟で申します。何故、そうなったか?雇用者にとって、その程度の価値しかないからです。
ものすごく荒い計算をします。日本の企業の利益率は5%です。つまり315万円を稼ぐ人ならば300万円の給与を出せます。630万円稼ぐ人ならば600万円の給与を出せるのです。600万円の給与を出せば630万円稼ぐ人ならば、企業は何人でも雇います。しかし、年収170万円の人が多いのは180万円しか稼げない人が多いからです。
何故かといえば、そのようなトレーニングを受けていないからです。
仕事柄、「深い読み」、「論理的思考力」とおっしゃる方と対峙することは少なくないです。腹の中で、「あなたが子どもを奈落に突き落としている」と思ってしまいます。
私は日本の学校段階を単線型から複線型にすべきだと思います。つまり、中等教育段階から進学コースと職業コースに分けるのです。子どもたちの可能性を狭めるというご意見もあるでしょう。しかし、「生きるか・死ぬか」の問題だと私は思っているのです。
■ [大事なこと]選択

メンバーシップ型雇用では無限の時間・忠誠心。ジョブ型は技術。だからメンバーシップ型雇用の行き着く先は過労死もあり得ます。しかし、ジョブ型の行き着く先は非正規雇用です。特段の技術が無い人がゆとりある生活をするならば、グローバルの真逆なドメスティックな生活しかない。つまり狭いコミュニティーの中での自己完結。でも、この場合は、ものすごく濃い人間関係の中で生きなければならない。
■ [大事なこと]妄想

が、今年は妄想がわかないのです。何故か、と思いました。
原因は、「一人も見捨てない」ということに関して最後のピースがはまったからだと思います。ま、そのピースは前から知っていたのですが、それは理論的なものでないという事例を知ったからです。もっと具体的にいえば、重い障害を持ち、肉親を持たない人が、その人なりの人生を全うするには何が必要かという事例を知ったからです。色々な子どもがいるでしょうが、その事例に包含されるように思います。ようは人の繋がりです。
私の頭の構造は教育の枠組みを超えています。が、私の仕事は教育の枠内にいます。その枠内で枠外のことを動かすにはどうしたらいいか。それが分かりません。
三十年以上前に初めて教師になったときから追い立てられた「一人も見捨てない」から解放されたように思います。もう、私には見えている、と思えるのです。
冬の太平洋側の天気はさわやかです。曇天と雪に閉ざされる雪国からトンネルを抜けると、東京生まれの私は「そうそう、本当はこれだよな」と思います。
上越教育大学は私にとって最高の職場です。だから三十年以上勤めている。根本先生、戸北先生という最高の上司をいただいた。だから我が儘放題できた。が、両先生は鬼籍に入られた。上越教育大学は全国の生きのいい教師が派遣されます。その人たちといっしょに仕事が出来ます。が、新潟県派遣の方は私の研究室に所属することは少ないのは前からで、他県の先生が所属します。ところが他県派遣の数が減っている。そして、日本中にいっしょにやってくれる教師がいる。博士課程で研究者を養成することも十分やった。既に私が養成した人が養成する側になっている。1つのコースと1つの専攻を立ち上げた。思ったことが実現し、思った通りの成果を上げた。ということで上越教育大学についても一段落。
さて、次に何をすればいいのか?
北海道の石川さんが50歳でご退職になり、新たな道を切り開くそうです。安定指向性の高い私には絶対出来ないことです。でも、気持ちが分かるような思いがします。同じ環境の中で生活すれば、良き出会いもありますが、裏切られた記憶もある。それが澱のようにたまってくる。一度リセットできたら気持ちがいいように感じます。
妄想がわかない。