■ [大事なこと]教科の専門性
教員免許状を取得するには教科専門を学びます。さて、役立つのでしょうか?
多くの大学人を敵にしそうなことですが、最後まで読んで下さいね。
教員採用試験の教科の問題をみてください。私は「あ~、大学入試直後に受けたら、絶対に楽勝だな」と思いました。教職の方はそう思いませんでしたか?だって、テスト範囲は高校レベルですから。私の受験した高校教師の試験でもそうなのですから、義務教育のテストの範囲は当然高校レベルです。つまり、学校の先生になるには、高校教育レベルでいいんだという教育委員会の判断があると思います。
高校教師となって教科の先生方の会に参加しました。時には合宿もありました。そこで話されている話題は、大学・大学院卒業直後の私にとっては、古生代レベルの話題でした。口には出しませんでしたが「何じゃこりゃ?」と思いました。でも、考えてみれば当然です。高校の授業に反映させる研修をしているのですから。
教員養成系大学にも教科のコースがあり、教科専門の研究室があります。そこに入る学生さんの気持ちが分かりません。(繰り返しますが、怒らないで最後まで読んでくださいね)
だって、理学部の学生は80単位ぐらいの専門の講義・演習・実験があります。それに対して教員養成系学部の学部は20単位ぐらいです。使っている器具も理学部に比べて桁が2つぐらい下回っています。私の研究室には数十万レベルのものがごろごろありましたし、私の卒業研究の時には数千万円レベルの器具を使っていました。つまり、人の能力以前に、育成される人材は違います。
さて、以上、教員養成系学部・大学の教科専門の大学人からは蛇蝎のように嫌われるようなことを書きました。しかし、私は教員養成系学部・大学における教科専門の意義はあると思います。そもそも私自身が理学部出身(正確には第二学群生物学類生物物理学専攻)なのですから、教科専門に意味がないと言ったら自己否定になります。
1)社会科学とは違った自然科学の研究者の人柄を知る機会を得ました。動物分類学の関口先生、分子遺伝学の柳澤先生、集団遺伝学の黒川先生、生物物理学の内藤先生が頭に直ぐに思いつきます。
2)教科の美しさです。徹底的に生物を見続けることによって、一部の人は「気持ち悪い」と思うかもしれない生物に対して「美」を感じることが出来ます。これは見続けることしか得られないものだと思います。
3)問題解決のしかたです。これは卒業研究で指導いただいた石坂先生、小林先生から教えてもらえました。私の研究方法は、このお二人から教えてもらったと思っています。つまり、複雑な現象をシンプルなモデルで近似し、そのモデルを拡張する方法です。生物という複雑な現象を物理というシンプルな理論で分析する生物物理学の特徴だと思っています。教育という複雑を学校観と子ども観というシンプルな「観」で理解しようとすることに役立っています。
さて、教員養成系です。以上を獲得するのは理学部等で獲得するより遙かに難しい。理由は時間数です。例えば80単位と20単位の違いです。
今から20年ぐらい前の話しです。懇意の教科専門の先生から「西川さん、教科専門の我々がいる意味を理科教育(当時の専門はそうでした)のあなたは何だと思う?」と聞かれました。私は直ぐに「おそらく、教科専門の内容は意味がないよ。残念ながら小中の学校であなたが教えている内容が生かされるとは思わない。でも、○○さんが良き教師として学生を指導しているならば、それはとても意味があると思う。教師になろうとする学生が色々な教師のモデルを学ぶこと、これは教師になってとても大事なことだと思う」と言いました。
現在、教員養成系学部・大学の教科専門の風当たりは強い。でも、指摘されている問題は教科専門ばかりではなく、教科教育や学校教育でも全く同じ。でも、教科教育や学校教育でやっていることは現場の教育を連想できる(関連する、役に立つとは書きません)ので矛先が教科専門に向かっているだけです。教科専門の先生方は学内では多数派です。でも、矛先が自分に向かっていることを自覚して、説明責任を果たしたらいいのにな~っと思います。
追伸 私の退職後だと思いますが、教科専門ではなく教員養成系学部・大学への矛先が先鋭化するでしょうね。私が財務省の担当者だったら、以下のようにします。
小学校を学級担任制から教科担任制にします。ま、算数+理科ぐらいの免許にして理学部で教えられるようにします。そして、基本的に学部レベルでは教職に関する講義をなくします。教職に関する講義・実習は教職大学院で行います。免許は教職大学院で取得するようになるのです。以上がなりたつと、全国にある教員養成系学部・大学は廃止できます。そして、単科の教員養成系大学のみが教職大学院を残し、準計画養成にするのです。(定員20人の大学院は予算的に無駄が大きいから)私立大学の場合は、教職大学院連合を組めるところが生き残るでしょう。そうでないところは、その時点までに淘汰されていますから、大きな反対運動は起こらないと思います。霞ヶ関の奥の院の誰かの頭の中に、こんな青地図があり、代々の担当者の中で引き継がれているのではないかと思っています。繰り返しますが、私の退職後のことです。
■ [お誘い]若い方へ
身近に「これから教師になろうとする学生」、「いいやつなのですが、要領の悪い若手教師」がいたら、「新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます」、「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール」(学陽書房)を勧めてください。
「大学4年の時、今つきあっている相手とどうするか?」、「事務に好かれるにはどうするか?」、「共稼ぎの時、離婚しないようにするに大事なこと」、「膨大な書類の手を抜き方」などが書いてあります。
あ、中堅の人も読むといいですよ。
■ [大事なこと]面白いけど役に立たない
若い頃は乱読しました。特に大学院時代は毎日分厚い教育学や心理学の本を読んで、新書レベルの本も数冊読むという荒技をし続けました。
が、今は読む本は精選されています。理由は役立つか否かがよく分かるようになったからです。何よりも退職がリアルに見えてくる今、役立つか否かで読むか読まないかを判断しているかだと思います。
学生からある本を示され、読むべきか否かを問われました。私の回答は、「私も読んだけど、面白い本だよ。でも、役には立たない本だ。水分子の動きを理解しても、のどが渇いたときは役に立たない。どこにコップがあり、どこに水道があるかの知識が役に立つ。我々の頭の中の仕組みを理解するのは面白いけど、そんなことを生かして三十人以上の子ども相手の授業は出来ない。」です。
その手の本を利用し、山ほどの学術論文を書き、学会賞をもらいました。今でも、それに関しては有効だと思います。が、授業改善には役に立たない。