■ [ゼミ]蜘蛛の糸

主にゼミ生に対して書きます。
蜘蛛の糸という作品を知っていますよね。カンダタは悪の限りを尽くしました。生涯にたった一つの善行を愛でて釈迦は地獄に蜘蛛の糸を垂らしました。
今、全国から色々なお客様が来ている。そのおかげで学ぶ機会を得ている。お客様がより多く学ぶために色々なことをしているゼミ生をみていると頭が下がります。
妄想しましょう。
もし、一人の教師が『学び合い』が本物だと分かってもらえたならば、その教師が小学校の教師であるならば、生涯に千人の子どもを教えます。その千人の子ども達に安心できる1年を与えることが出来るのです。中学校、高校の教師であるならば、生涯に数万人の子どもを教えます。その子ども達に週に数時間の安心できる時間を与えます。もしかしたら、それ以外の学校生活が悲惨であったとしても、それはもの凄く意味があります。人を信じられることを経験できるのです。
もし学校で取り組んでくれたら、その教師が別な教師に伝えてくれたら。
君たちが今やっていることが、いかに大事なことであるかは自明です。
我々には機会が与えられた、その機会を活かす義務がある。
期待しています。
■ [大事なこと]理想の社会と学校2

理想の社会と学校2
「アクティブ・ラーニングによるキャリア教育入門」(東洋館)では最初に、お金がいくら必要かを考えさせるエクササイズを子どもにさせます。まずはお金が分かりやすいからです。やってみるとビル・ゲイツになる必要もないことは分かります。一般人が稼げるだけで充分であることが分かります。
では、何故、多くの人が満たされないのか?
私は金持ちや権力者の作戦のように思います。
金持ちや権力者だと行っても「起きて半畳寝て一畳飯を食っても二合半」です。日本人の平均年収の十倍稼ぐ人も十倍飯は食えません。十倍大きなふとんに寝てもしかたがありません。それでは十倍稼いだことが無意味になります。だから変なものを食べます。古代ローマ皇帝の食事の中には蚊の目玉がありました。どうやって集めるかというとコウモリを集め、その胃袋の中から得るのです。目玉は消化されないから。それでももの凄い手間がかかります。もの凄く高価なものです。でも、珍味ではあっても美味しいとは思えません。何故食べるかと言えば、それを食べられない人の「羨ましいな~」という羨望を得たいのです。
求める人が多くなると高価になります。金持ちの有り余るお金の使い先が生まれます。だから、金持ちや権力者はどうでもいいものに価値があるように洗脳します。千利休は雑器を「大名物」と価値付け、権力者はそれを恩賞として使いました。
冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい。権力者や金持ちを喜ばすために、みんなが自分で持てないものを羨望する馬鹿馬鹿しい。まずは、その呪縛から逃れなければならない。
昨日、ある方が「東京大学があるから日本の教育は駄目なんだ。東京大学を解体すべきだ。」と仰りました。私は以下のように申しました。
『東京大学はあるべきだ。一定数は最高学府で学問を究めて、発展させてもらわないと日本が困る。問題のポイントは、みんなが東京大学に入りたいと思うこと。例えば、吉本興業に入ってお笑いの世界で活躍したいという人はいる。でも、多くの人は羨望しない。自分には合わないし、合わない人には辛い世界だと分かっているから。同じように、東京大学に入りたいと思っている人がいたら、「へ~、頑張ってね。そんなにまで勉強したいんだ、あはははは」と思えるような状態になればいい。一人一人が自分の進路を見据えて、別々な方向に進めばいい。』
自分が実現できる未来を理想の未来とすればいい。そして、その理想を少しでも高めた方がいい。
権力者や金持ちの呪縛を学校で解くべきだと思っています。だから、「アクティブ・ラーニングによるキャリア教育入門」(東洋館)では、お金の呪縛を最初に解きます。
■ [大事なこと]理想の社会と学校1

理想の社会と学校1
理想の社会と学校を書くとしたら、まず、理想とは何かを書かねばならないと思います。
『学び合い』は「一人も見捨てず」を願いとしています。そして、それが戦略となっています。
では、「一人も見捨てず」とは何でしょうか?たまに聞かれます。聞かれたときは笑って「そんなの分かるわけない」と応えます。大抵の方はきょとんとされます。何故なら、「成績が上がる」とか「虐められない」などを思い浮かべているからです。しかし、「一人も見捨てず」は一人一人違います。また、同じ人でも、その場その場によって違います。だから、何をもって「一人も見捨てず」なのかは当人がその時決めるしかありません。
まあ、最初は「成績が上がる」とか「虐められない」レベルのことでしょう。でも、そんなのは所詮、学校に在学しているときぐらいのものです。『学び合い』は一生涯を考えています。だから、子どもにそのレベルのことを考えさせられるようにしなければなりません。でも、それは全ての子どもには無理です。どうするか。
集団作りだと思います。