■ [大事なこと]私
最近、ある学生さんから「他の教職大学院の先生と比べたときの西川先生の特徴は何ですか?」と聞かれました。
その時はすぐに応えられなかったですが、今は分かります。
おそらく、「一人も見捨てず」だと思います。
多くの方は、「一人でも多く分かるようにしたい」、「みんなが楽しくしたい」ということを狙っています。でも、私は「一人も見捨てず」です。私がこの言葉を使うと、「一人も見捨てずはキツすぎます。だから、私はその言葉とは違う言葉を使います」とおっしゃる方がいます。そうでしょう。「一人も見捨てず」は子どもにはきつすぎる言葉かもしれません。でも、私はそれに拘ります。
私は「子どもが難しい課題を解決したとき」、「子どもが楽しくて夢中になっているとき」を喜べますが、感激は出来ません。私が本当に願っていることは、「全ての子どもがごく普通の課題を達成したとき。即ち、今まではごく普通の課題を達成できない子どもが課題を達成したとき」、また「特別な支援を必要な子であることがありありとした状態から、どの子が特別な支援を必要としている子か分からない状態になったとき」、「おどおどと集団の中にいる子、また、攻撃的になることによって身を守っている子どもが、集団の中に取り紛れているとき」に涙が止めどなく流れます。そして、そのような感激を与えてくれた子どもたちに感謝します。そして、私の過去の罪の贖罪が少しでも出来たのではないかと感じます。
私の教師人生の最初の2年間が、その後の私の全てを決めているように思います。
「一人も見捨てず」は大変です。でも、最高の力を子ども集団の中から引き出します。そして、「一人も見捨てず」の思いは、最も強い力を言葉に与えます。
私は子どもが幸せであることを願うより、不幸であることが耐えられないのです。それは想定する子どものイメージの違いだと思います。私は苦しんでいる子どもを見過ぎました。見過ぎると倒れます。でも、それを逃げている自分を許せない。だから見続けられる人を増やしたい。そのために、そのような方々をサポートすることをしたい。だから、常に何かをしています。