お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2017-04-23

[]一人も見捨てず 12:17 一人も見捨てず - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てず - 西川純のメモ 一人も見捨てず - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は「一人も見捨てず」ことを子どもに求めるのは教師の最高の戦略であり、それを理解することは子どもにとって最高の戦略だと確信しています。しかし、多くの人は「そりゃ無理」、「それは出来る子どもにとって負担だよ」と思います。それは『学び合い』の実践者もです。だから、私が「一人も見捨てず」という言葉を使うのを嫌がる人もいます。

 どうして、見方に大きな違いがあるのでしょうか?

 第一に、多くの人は特定の子ども(とても手のかかる子)をイメージします。だから、「無理」、「負担」と思うのです。一方、私は集団をイメージします。特定の子どもをイメージしません。

 第二に、多くの人は特定の子どもが出来るとは思えません。実は、私は特定の子どもが出来ない場合があることは充分に分かっています(でも、一般の人よりはその数はグッと少ないですが)。しかし、そのことを諦めないというスタンスを堅持することは集団全体にとってメリットがあると思います。もちろん、その集団の中に、特定の子どもも含まれます。

 例えば、生活保護、障害者に対する手当というものがあります。これは単純に損得勘定をしたら、大多数の人にとっては損のように思えます。しかし、弱者を見捨てない社会で生きることは多くの人にとって得なのです。だから、生活保護者、障害者に対する手当に対して社会的合意が成り立っているのです。それと同じです。

 第三に、目指すべき集団の姿を多くの人は青春ドラマのクラスのような姿をイメージします。しかし、私のイメージするのは、大人社会の職場をイメージします。仲良くなくていいのです。腹の中で嫌ってもいいのです。全ての人に等しく手をさしのべる必要はありません。ある人がAさんに10手をさしのべ、Bさんに5、Cさんに0でもいいのです。でも、集団として、だれからも手をさしのべられていないことは「損」であることを理解してもらうのです。

 以上のことは、多くの教師には理解出来ません。

 理由は、多くの教師、実は子どもも保護者も、子どもと教師との関係を、子どもと親との関係の擬似的なものだと考えているからです。でも、三十人の親になることは出来ません。何故なら、ホモサピエンスはそういう種だから。

[]誰に語るべきか 11:09 誰に語るべきか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誰に語るべきか - 西川純のメモ 誰に語るべきか - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』で「『学び合い』より先生が話す授業の方がいい」と言う子どもがいます。そりゃそうです。今までの授業だったら、ボーッとしても時間は進みます。が、『学び合い』ではそれではすみません。

 「先生、どんなにやっても全員達成は無理」と言う子どもがいます。そりゃそうです。クラスの子ども8割を学びに集中させるのだったら、本の通りにやったら初心者でも4週間以内に出来る。9割にするのは初心者は3ヶ月で出来ます。しかし、そこからが大変です。最後の一人も勉強に巻き込むのは1年の勝負です。

 さて、誰に語るべきでしょうか?

 その子に語っても効率が悪い。

 クラスの中には『学び合い』が効率が良くて楽しいことを理解している子もいます。そして、難しくても、諦めない(少なくとも建前であっても)ことが得であることを理解出来る子どももいます。その子に語り、その子から広げるべきなのです。

 どうすればいいのでしょうか?

 上記のことを子ども達に返せばいいのです。例えば、

 『この前の時間の最後に「『学び合い』より先生が話す授業の方がいい」ということを言われた。このことをどう思う?この中には『学び合い』が効率がいいし楽しいことを理解している人がいる。でも、何故、「『学び合い』より先生が話す授業の方がいい」ということを言う人がいる。何故だろうか?そりゃ、分からない人は分からないのだから仕方がない。どうしたらいい?もう分かっているよね。分かっている人が、このクラス全員が全員達成するにはどうしたらいいかを頭を使って、行動すればいい。期待しているよ。』と語ればいいのです。この言葉が分かるのは2、3人で充分です。

 また、

 『この前の時間の最後に「先生、どんなにやっても全員達成は無理」ということを言われた。このことをどう思う?考えてみて、私は「そうだよな~。それは無理だ。ま、二三人は駄目でしょうがない」と思ったら、このクラスはどうなると思う?このあたりは分かるよね。じゃあどうすればいいのか?いいかい、全員達成は大事だけど、それ以上に全員達成を諦めないクラスが君たちの将来を決めるんだ。どうしたらいい?もう分かっているよね。分かっている人が、このクラス全員が全員達成するにはどうしたらいいかを頭を使って、行動すればいい。期待しているよ。』と語ればいいのです。この言葉が分かるのは2、3人で充分です。

 『学び合い』のセオリーです。達成すべき事があれば、それを率直に子ども達に求める。その方法は指定せず、それを達成する意味を語ればいい。分からない子どもは多いが、分かる子どもはいます。それで達成できるか?分かりません。でも、教師一人でやろうとするよりは「まし」であることは確かです。

[]専門 10:23 専門 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門 - 西川純のメモ 専門 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は多種多様な本を書いています。おそらく、従来の学問のジャンルで分類したら、私の専門はなんだか分からないと思います。でも、私の専門は「一人も見捨てない」なのです。だから、大学院で理科教育学を専攻した私が他教科の本を書きました。そして、「2020年激変する大学受験!」、「学歴の経済学」、「サバイバル・アクティブ・ラーニング入門」、「アクティブ・ラーニングによるキャリア教育入門」の様に教科教育とは関係ない本も書きます。そして、若い教師を見捨てたくないから「新任1年目を生き抜く教師のサバイバル術、教えます」、「何故か仕事がうまくいく教師の7つのルール」も書きました。

 私の専門は「一人も見捨てない」なのです。

[]奪われる仕事3 10:13 奪われる仕事3 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 奪われる仕事3 - 西川純のメモ 奪われる仕事3 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 義務教育の教師の中で、「今後30年、40年、50年の日本の産業構造はどうなっているか」を自分なりのイメージを持っている人がどれだけいるでしょうか?その時代の地元の未来イメージを持っている人がどれだけいるでしょうか?

 かけ算の順序はどうあるべきか、また、「わらぐつの中の神様」をどう読みとるかを語れる教師はいますが、上記のイメージを持っている人は少ない。何故なら、それは自分の仕事ではないと思っているからです。

 しかし、「大学に進学するか否か」、「地元で将来生活するか否か」を高校入試の段階で決めなければならないのです。それを誤ると、高校卒業時、大学卒業時にとても不幸なことが起こります。進学のために奨学金という借金をしてしまえば、後戻りできなくなります。そんな大事な決定を中学3年生の1年間で子どもや保護者が決められますか?無理です。

 これは義務教育9年間でじっくりと考えなければならないのです。そして、その将来を見据えて学校で学ぶ他の子ども(他学年も含めて)とつきあわなければならないのです。であれば、「今後30年、40年、50年の日本の産業構造はどうなっているか」を自分なりのイメージを義務教育の教師が持つべきです。きっと、教員以外の人の方が、すんなり分かってくれると思うのです。

 が、これを言っても分かってもらえないもどかしさ、嫌われる悲しさ。教員養成系学部以外に異動したくなることもあります。自分が変わるのは誰しも嫌がるのは当然です。

[]奪われる仕事2 09:58 奪われる仕事2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 奪われる仕事2 - 西川純のメモ 奪われる仕事2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から二十年以上前のことです。地元に大きな本屋が出来ました。いわゆる街の本屋しかない上越市には画期的なことです。子どもがいなかった頃の我々夫婦は、そこで時間を過ごすのが大好きでした。地方で土地が安いので大きな駐車場を用意していましたが、いつも満杯でした。

 しばらくして経営者が変わりました。そのとたんに品揃えが単純化しました。具体的には教育書の棚に行くと、メジャーな出版社のシリーズものがずらっと並ぶのです。ま、同じタイトルで学年が違うノウハウ本みたいなもの。そればかりになったのです。結果として、本棚はとても美しくなりました。でも、つまらなくなりました。以降、その本屋に行くことはなくなりました。しばらくして、その本屋は閉店して、ゲームセンターになりました。

 街の本屋、街の電気屋で驚異的な売り上げを誇っているところがあります。見た目は、普通なのです。ところが、個人としての顧客とのやりとりを大事にして、それを商品・サービスに繋げているところです。

 さて、本屋や電気屋が潰れているのでしょうか?いえ、「人」が潰れているのです。おそらく、潰れる人は「今の時代、本屋(電気屋)は儲からない。やってられない。」と言うでしょう。でも、違います。「あなたが、儲からず、やっていられないのです」。

[]奪われる仕事 09:25 奪われる仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 奪われる仕事 - 西川純のメモ 奪われる仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「私の仕事、ロボットに奪われますか?」という記事(https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/ft-ai-job/)に、玉川大学の小酒井さんが「冷静に考えてくれ。いまの教育レベルなら、ロボットの前に、日本以外のアジア人に仕事を奪われますわ。」とフェイスブックで書いていました。小気味のいい言葉に、思わず、大爆笑しました。まさに。

 ロボットに奪われる仕事があります。そして、アジア人に奪われる仕事があります。でも、本当は、奪われる「人」がいるのだと思います。

 ロボットでも出来る仕事をしている日本人、他国人にも出来る仕事をしている日本人ならば奪われるでしょう。でも、ロボットや他国人に奪われない仕事をする日本人はどんな仕事でも奪われません。だって、どんな仕事も人とつきあう仕事であり、つきあう人の大多数は日本人なのですから。生まれついての日本人の方が、日本人とのつきあい方に関してはアドバンテージがある。

 全ては日本の教育の問題です。第一は、上記の通り、日本人とのつきあい方を武器にするような教育をしていない。第二は、日本の教育の殆どが非ジョブ型で、それも高度成長期に伸びた仕事(そしてこれから衰退する仕事)に指向している点です。

 外国人労働者を受け入れている業種は数多くあります。そこで仕事をしたいと思わせる教育、そこで日本人とつきあえる能力を育てる教育であればいいのです。ロボットに仕事を奪われるかを恐れるならば、そうならないようにすればいい。

追伸 ロボットやAIに仕事を奪われるのはフィクションだと笑う人がいます。私はフィクションだと思いません。

有名な言葉です。「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である(ダーウィンだと言われますが実は作者不明の名言)」