■ [大事なこと]教師の仕事

以前書いたことをもう一度書きます。
我が身を削り子どものため、尊いことです。
でもね。
子どもが就職してから、その就職先の経営者が同じ事を言ったら?
お客様のため。と。
教師は子どもの大人のモデルです。
脱法しなければ成り立たないシステムはおかしい。
システムを直すことに力を注ぐべきです。
その姿を子どもに見せるべきです。それが恥と思われない、本務をすべきです。
■ [大事なこと]『学び合い』実践者へ

私は、私のクラスである西川ゼミの学生と一定の距離を保っています。ゼミ生は可愛い。だっこして、高いたかいしたいほど。四十代を超える現職院生もです。が、距離を保っています。理由は3つです。
第一に、本務でゼミ生のためにやれることを十分やっていると自負しているからです。
第二に、私が近すぎるとゼミ生同士の関係を阻害するからです。
第三に、私の本当の本務は家族にあると思っているからです。
『学び合い』の実践者であれば、これが分かると信じています。そして、部活に燃えないと思います。だって、教科学習で十分に子どもの人生に関わっています。それも、全ての子どもに対して。そして、部活にのめり込めば、子どもは自分に近づきすぎるから。結果として、家族との時間を確保できないから。
部活に燃えすぎて、家族との関係を壊した人がいます。子どもを愛している人です。ただ、その愛を教科学習で実現できないから、部活の時間で代償しています。その人が「もっと早く西川先生に出会いたかった。そうしたら、別な人生があったのに」と言われました。
教師は子どもの大人のモデルです。それを理解し、自信を持って家族との時間を大事にしましょう。
■ [大事なこと]具体策

具体策です。
1)学校は校内における責任を負うが、学校外のことは責任を負わない。
2)休日の部活は一切禁止する。
3)勤務時間外の電話連絡は受け付けない。
4)授業以外の仕事は、専門の職員をもってあてる。
補足します。
1)に関して、校外のことであっても、その原因が学校内である場合は学校が責任を負います。ただし、その説明責任を学校は負いません。つまり、原因があると思う人が説明しなければなりません。
2)に関してです。社会体育と連携することは可能とします。その場合、当該校の教員は関与しません。これは一部地域で既にやられていることです。
3)に関してです。これをやっている学校は知りません。しかし、企業のカスタマーサービスでやっているように、「正しい対応をするために、この会話を記録させていただきます。あらかじめご了承下さい。」とすることは直ぐにでも出来そうです。ようは、「1)」が徹底できるか否かが分かれ目ですね。
4)に関してです。事務職員の増員か、外部委託でしょう。「フラット化する世界」を読めば、ネットを介した外部委託が有効でしょう。本当に外に出せない業務はそれほど無いはずです。
その上で5)はちゃんとした残業費を払う、です。
■ [大事なこと]逆の発想

自民議連が文科相に「(1)教員全員の午後6時までの退校を目指し、勤務時間管理や健康管理などを促進する(2)部活動は大会などを除き、土曜、日曜を休養日とする(3)業務を明確化し、給食費の徴収業務などを極力行わせない」を提言したそうです(http://www.sankei.com/smp/life/news/160531/lif1605310018-s1.html)。
でも、「目指し」、「除き」、「極力」という文言がある限り、骨抜きになるでしょう。何故なら、「6時以降も学校にいて、土日に部活を指導し、給食費の徴収業務をしないと学校は動かない」と殆どの人が思っているから。
じゃあどうするか?
「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」を改定し、残業費(現在のお小遣い程度のものではないですよ)をちゃんと支給するようになればいいと思っています。こうなったとき、初めて行政が本気になって考えます。
■ [大事なこと]トレンド

研究者の中には惚れ惚れするような賢い人がいます。何でも知っていて、何でも考えていて、仕事は早い。そして、その過半数は人付き合いも上手い(現在、この能力が無くて成功できるのは超天才のみです)。その能力は受験学力との相関が高いようで、偏差値の高い大学出身が多いように思います。筑波大学出身の私なんかには太刀打ちできません。
じゃあ、どうするか?トレンドを追うのではなく、トレンドを生み出すのです。
先に書いた賢い人は、トレンドの中で優雅に結果を出します。その人達と戦っても勝ち目はない。だから、その人達が手を出さない分野の研究をします。これだとだいぶ楽です。そして、論文にするときに「トレンド」に合っているような装いをします。そうじゃないと論文はアクセプトされないから。でも、それが一定以上たまると、それをトレンドに押し上げます。そして、トレンドの中で業績を上げまくります。やがて「賢い人」が参入する頃には、新たな市場を開拓します。
「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。」というドラッカーの言葉が大好きです。
新たな市場を見いだすポイントは、現状がどうであるかをいったん忘れて、「どうあるべきか」ということを重視します。私は大学院時代、「教育は定量的に測定されるべきだ」と考えました。その当時は、100人程度のデータを百分率で結果を表し、その多寡で議論する論文が学会誌に堂々と載っていました。仕方がありません。数量的に分析するツールが一般的でなかった。当時の「賢い人」は外国語を武器にしていました。私は、大型コンピュータを武器にしました。
次に、「頭の中で何が起こっているかをモデル化し、指導法を開発すべきだ」と考えました。そして、自らが先鞭をつけた「教育は定量的に測定されるべきだ」を陳腐化しました。私の武器は認知心理学です。
次に、徹底的に臨床的なデータを記録・分析するという方法論を武器にして、子ども集団を対象とした指導法(つまり初期の『学び合い』)を開発しました。それによって、「頭の中で何が起こっているかをモデル化し、指導法を開発すべきだ」を「一人一人の頭の中はバラバラで予想することが困難である」と陳腐化しました。
現在の私は、教師の考え方が言動に表れ、それが授業の成否に繋がることを明らかにしています。それによって初期の『学び合い』を陳腐化しました。
今の私の『学び合い』を異次元に移行しつつあります。既に、教室の中の『学び合い』には興味を持てません。社会を変えるために学校が何が出来るか、そこに興味があります。今のところ、殆どの人が気づいていない。いや、思いつきもしていない。
追伸 愚痴です。自然科学においては自然が判定者です。だから、他の人のことを「あまり」気にせず突き進むことが出来ます。が、社会科学である教育は、他の人が理解し、行動を起こしてなんぼの学問です。だから、人が判定者です。それ故、先に進みすぎると駄目なのです。それが悩ましい。ちなみに、二十年前は西川ゼミの殆どは現職院生でした。ところが、今は学卒院生が主です。現職院生は現場で『学び合い』を実践した確信犯です。そして、今年は一名も現職院生は西川ゼミに入りませんでした。実践したことの無い人が理解出来るのは、二十年前に私が整理したレベルのことなのです。
ということで、『学び合い』の現場実践者の方々へ
上越教育大学に入学しませんか?皆さんの知っている『学び合い』が既にどこまで突き進んでいるかを学び、さらに、突き進む経験をすることが出来ます。おそらく現場では、それだけで二十年は陳腐化しないと思います。