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2017-05-28

[]一番厳しいのは 20:22 一番厳しいのは - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一番厳しいのは - 西川純のメモ 一番厳しいのは - 西川純のメモ のブックマークコメント

 これからの人生で一番厳しい未来が待っているのは、平均的な普通科高校のそこそこ成績のよい子で、対人関係能力の低い子です。具体的には、『学び合い』にすっと入れない子です。そのような子がいたとき、『学び合い』を実践するには一手間、二手間が必要です(それは本に書きました)。でも、それをしなかったり、「みんなで取り組む『学び合い』入門」で書いたようなことをせずに対保護者、対同僚での関係を崩してしまい、『学び合い』を断念すれば、楽になるのは教師かもしれませんが、その子の未来は厳しいものになります。

 何故、平均的な普通科高校のそこそこ成績のよい子が一番厳しい未来があるのでしょうか?

 第一に、その子の対人関係能力の低さが自閉症と分類されるレベルだったら、障害者に対するセーフティーネットを利用できます。しかし、平均的な普通科高校のそこそこ成績のよい子は、特別な支援を必要な子とは分類されません。何故ならば、現状の一斉指導においては、学習上の障害にはならないからです。

 第二に、対人関係があまり必要でない仕事は、昔はそれなりにありました。ところが、AIやロボットが発達する未来においては、そのような仕事は人に残されていません。ビックデーデーターでは分からない、個人対個人の中長期の人間関係の中で収集できるデータによるサービスが人に残された仕事ですから。

 そして、普通科高校は即戦力の技術は教えず、就職支援も弱い。結局、とりあえず入りやすくなった大学進学を勧めることになります。でも、その程度の大学を卒業しても、就職は厳しい。

 結局、職に就けないか、非常に条件の悪い仕事しかつけないのです。

 第三に、平均的な普通科高校のそこそこ成績のよい子は、家族からも障害があるとは思われていません。そこそこの成績があれば、そこそこの大学に行けます。ところが、就職できません。となると、なんであなたは仕事に就けないの?と問われます。また、就職してもやめなければなりません。そうなれば、何故?と言われます。つまり、家族からさえも支援を受けられない。もちろん、本人も理解できません。保護者も本人も大学を卒業すれば、そこそこの職について、一生涯安泰だという旧モデルの中にいるのです。

 この2年の取材を通して、そのような子が自らの命を絶つ事例を知ってしまいました。

 高校の『学び合い』実践者の方々に申します。皆さんには、どの子がそうなるかを名前を挙げられますよね。

 義務教育の『学び合い』実践者の方々に申します。義務教育段階で、その子の近くに、その子とつながれる子ども集団を与えたならば、その子は自殺しません。人は、一人だけでも繋がる人がいれば、生きられます。何故なら、本人は生きたいのですから。

 私の焦燥感が分かっていただけましたか?

追伸 高校教師の勧めで、奨学金という500万円の借金を背負っていたら目も当てられない。

[]教職大学院 18:19 教職大学院 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職大学院 - 西川純のメモ 教職大学院 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教職大学院のカリキュラムは細かく規定されていますが、それを具現化する過程の中で大きな差が出ます。

 上越教育大学教職大学院の特徴は、第一に学卒院生と現職派遣院生が一緒に学ぶ講義、一緒に学ぶ実習をとっています。本学の学生に「現職院生と学卒院生が一緒に学ぶカリキュラムをとっているのは本学ぐらいなんだよ」と言うと、大抵はビックリします。「そんなバラバラにしたら互いに学ぶことが出来ないに」と思うのが本学の学生です。

 設置の段階には、文科省からは学卒者と現職者は前提が違うのだから別々にせよという指導がありました。でも、「うちのコンセプトは協働だから」ということで認めていただいています。ま、制度設計をしたのが私だから、非常に変わったカリキュラムになったのです。これによって、学卒者は年長者と繋がる経験をして、現職者は若い人とのつきあい方を学びます。

 なお、現職者に学卒院生のお世話係をさせないために、本学教職大学院の教員の殆どは、現職教員の経験があり、かつ、学術研究の業績がある人(博士の学位を持っている人も多いです)で固めています。学生の指導をするのは大学教員であり、現職院生と学卒院生の関係は先輩・後輩の関係になります。つまり、そう出来る経歴と実績のある教員で固めています。

 第二に、現職院生と学卒院生の数のバランスが取れている。多くの教職大学院はその定員の殆どをその県の教員で占めています。その結果、学卒院生の割合が小さいのが通例です。この特徴があるから第一の特徴が活かせます。なお、多様な県から学卒院生、現職院生が集まるというのも特徴です。

 同じ釜の飯を食った同級生が他県にいると、行政に勤めたとき、他県の裏情報なども収拾できて便利です。(とOBOGから聞いています)

 これも、「こういう教職大学院は多くはないんだよ」と言うと学生はビックリします。

 第三に、2年間派遣が基本です。2年間、勤務校から離れて、客観的に自身の実践を問い直します。もちろん、勤務校で実習を受ける人もいます。この人の場合は、上越にずっといなければならないのは1年目の4月から7月の4ヶ月だけで、あとは現任校で実践できます。(つまり、家庭的な課題もクリアーできます)ただし、その場合でも、籍は大学院ですので、担任や校務分掌からは離れます。そして、週の2日ぐらい学校に行き、それ以外はそこでのデータ分析にエネルギーを注ぎます。ずっと勤務したら、頭なんて働くわけないですから。

 これも、「こういう教職大学院は多くはないんだよ」と言うと学生はビックリします。

追伸 もちろん、現職院生と学卒院生が別々の授業・実習を受けているから得られるものもあるでしょう。現職院生が殆どで、そこに学卒院生がまじることから得られるものもあるでしょう。2年間ずっと現場を離れず、定常業務をこなしつつ学ぶことによって得られるものもあるでしょう。ただ、本学大学院は県庁所在地にない地方の大学の教職大学院です。「ここだから進学したい」という特徴を持たせなければ生き残れない。それを決め言葉に制度設計の際に政治をしました。

[]パイ 17:35 パイ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - パイ - 西川純のメモ パイ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 限られたパイを分配する言葉には力は無い。何故なら、ある人達には、「あなたたちに多くを分配しますよ」と言い、別な人達には「あなたたちに多くを分配しますよ」と言うことになるから。そして、言われた人達の一定数は、「パイは一定だから、どうせ別な人には別なことを言っているんだろうな」と想像できるから。

 だから、新たなパイを生み出す言葉が必要だ。

 例えば、「高等教育の無償化」を言う人がいたら、「どのお金を削るの?」と思う人がいる。そして、その人が高等教育進学に関係ないならば、「自分の分を削られる」と計算できる。

 だから、「多くの人はお金のかかる高等教育に行く必要もなく、お金のかからない別な進路の方が得ですよ」という論理の方がいいのに。

 でも、既存のパイに呪縛されていると、その発想が出来ない。

[]力 16:58 力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 力 - 西川純のメモ 力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

ふと思います。

私は史上最強の力を持った教育研究者ではないかと。だって、「多様な人と繋がることが得である」ということを理解している多くの人と繋がっているから。ということは、私と同じ願いを持って繋がっている人は、私と同様に強力です。

追伸 斎藤喜博先生、大村はま先生の時代にはネットは無かった。ネット時代だから、私レベルでも日本中の多様な人と繋がれる。

[]言葉 16:52 言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 言葉 - 西川純のメモ 言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 言葉に、明るさと、力がある。いいな~。少子高齢化社会の日本にはヴィジョンとそれを表す言葉が必要だ。教育も。http://huffp.st/TxZ4FCK

[]宮田小学校 10:00 宮田小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮田小学校 - 西川純のメモ 宮田小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨年度より長野県宮田村は村として『学び合い』に取り組んでいます。本年度は7月11日に宮田小学校で研究会があります。詳細(一般に公開することも含めて)は、決まり次第、お知らせします。とりあえず、興味のある方のために、速報です。

[]変遷 09:34 変遷 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 変遷 - 西川純のメモ 変遷 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝一番に、「西川先生、おはようございます。◎◎論文の追試を今秋から行うに当たり、過去の西川研究室の動画を拝見していました。疑問に思った事があります。西川先生の言葉の変化の中で「子どもの幸せ」が「一生涯の幸せ」に変わっています。西川先生がそのように変わったきっかけを教えてください。」という質問が来ました。

 鋭い。

 『学び合い』の根幹である、学校観、子ども観、授業観は2007年3月にネット公開しました。それまではノウハウの公開は控え、口伝のみにしていたのを一歩進ませるためです。(その後、書籍が充実することによって、ネット公開は閉鎖し、『学び合い』の中級者向け書籍として公開しています)。

 我ながら不思議なのですが、その時点、いやそれ以前から学校観、子ども観、授業観は揺るぎません。さいしょにそれを文字にしたとき、きっと神が宿ったのかもしれません。が、違います。生物学をモデルにして吟味して作った文章だから、10年以上たっても揺るがないのだと思います。

 が、私のブログを丹念に調べてみれば、初期の段階は授業観が中心だったのが、今では学校観が中心になっています。また、子ども観に関しても、昔は「子どもは有能である」だったのが、誤解を避けるために「子ども達は有能である」と表現を微妙に変えています。

 さて、私の研究室のゼミはユーチューブで公開しています。それを見れば、西川ゼミに擬似的に参加しているように感じるでしょう。アクセス数をみると固定ファンもいるようです。

 最初の質問は、それをずっと見直しているときに、私の表現が変わっていることに気づいたのです。

 私の教師の原体験は定時制高校です。たった2年間の高校教師でしたが、それから三十年以上たっても私を縛り続けています。その当時から、私の願いは全ての子どもの一生涯の幸せです。が、自分で出来ると思わない限り、それを言葉にすることを避けています。己がそのために確かに何かをやっていると確信を持てない限り、ゼミ生に言葉として語れません。そんな軽い言葉を使う人間だと思われたら、ゼミの管理者として立っていられません。

 三十年間の中で、徐々にその封印を解き、語る言葉を換えました。その過程は「『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編」(明治図書)に詳しく書いています。(何人もの方から、涙を流しながら読んだ、と言われました。きっと私と同じように、不本意ながら、自らの心の中に闇を封印している人がいるからだと思います)

 この2年間、特別支援の子どもの幸せは何かを追い続けました。そして、全ての子どもを一生涯幸せにするにはどうしたらいいか、それがハッキリ分かりました(その本は現在、出版に向けて動いています)。それ故に、最近の私は「一生涯の幸せ」とか「三十歳、四十歳、五十歳、六十歳、七十歳の幸せ」という言葉を使うようになりました。

 私にはハッキリと見えてきました。あとは、それをどう伝えるかです。

追伸 特別支援の子どもの幸せが分かる過程で、恐ろしいことも分かりました。それは、一番、恐ろしい未来が広がっているのは、特別支援学級の子どもではなく、平均的な普通科高校のそこそこ成績のよい子であることです。それ故、急がなければならないと思っています。