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2017-08-15

[]答えではなく応え 21:42 答えではなく応え - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 答えではなく応え - 西川純のメモ 答えではなく応え - 西川純のメモ のブックマークコメント

 まっとうなご指摘をいただいたので、私なりに誠意を持って反応したいと思いました。以下、二重括弧内がご指摘です。

『『学び合い』が穿った見方をされる理由を整理してみた

知らない人もたくさんいるでしょうから、私の得意な前置きをします。

学び合いは、人と人との間で起きる学び合う状態を指しますから、世界中いたるところに、そしてどの年齢にも起きているものです。

『』という二重鍵でくくられたものは、上越教育大学の西川純教授が提唱する、学校教育における考え方を指します。

この『学び合い』は、しばしば批判の対象(というか批難)となります。

きな臭いとされてしまう理由について、ここ数年ウォッチしてきてみての私なりの整理をしてみようと思います。

西川氏が「方法」ではなく「考え方」だと主張していることを理解していない

一斉教授型がしみついている教師のアレルギー

「考え方」よりも「方法」で実践している教師がいる

学び合い』が信者化されていることへの嫌悪感

学び合い』信者の一斉教授型の教師へのアレルギー

学び合い』に関する参照が、論文ではなく著書に誘導される

これらが一緒くたにされているために、雑な批判と、くだらない水面下の闘いがあるのだと考えます。

そもそも、西川氏の断りのとおり、『学び合い』は「考え方」です。

私に言わせれば教育理念と観点です。

私が主に携わるとされる情報教育の分野とか、学校広報の分野とかで、似ている構図があるなと感じます。

大事なのは、穿った見方をしようが、「よさ」をどのように見極め、自分の力としていけるかではないでしょうか。』

 整理し分析していただきました。それにつづいて以下を指摘していただきました。

『教育理念としては、つっこみどころがあります。

「人格の完成」に向けて、西川氏は

「人格」とは、「人と関わる能力」と捉えています。

と言っています。

きちんと批判をするならば、この点で批判するべきです。

日本でもキーコンピテンシーが重要だとはっきり言われているのですから、私としては完全ではなくとも、今の世の中では「人と関わる能力」は重要であると考えています。

つまり、人格の完成がキーコンピテンシーを備えた人間になっている状態なだけでは不十分であるという主張があれば、きちんとした批判となると考えます。』

 この点ですが「人格の完成=人と関わる能力(正確には、多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決する能力)」で良いのか?という問いかけです。当然の問いかけです。これは学校観に関わることです。

 『学び合い』の学校観ではイコールだと主張しています。当然、一般の方は「それだけではダメだろう」と思うのが当然です。でも、この「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決する能力」さえあれば、他の能力は自ずとつくと考えます。さらに言えば、本人がその能力を獲得できなくとも、その能力を持っている人と折り合いを付けられれば、社会においては「その能力」があると判断されます。

 これは元々は石田の研究に基づいていますが、我々の実証的研究によっても保証されています。

 この学校観はかなりラディカルな前提なのですが、多くの『学び合い』実践者は意識すること無く実践します。多くの人が抵抗感を感じるのは「子どもたちは有能である」という子ども観ですから。それでも『学び合い』を実践すると多くの子どもの成績が上がることによって、学校観が正しいんだろうな~っと思い始めるのです。

 でも、『学び合い』の実践者の方、この指摘を読み、改めて理解してください。『学び合い』は「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決する能力」さえあれば、他の能力は自ずとつくと考えます。さらに言えば、本人がその能力を獲得できなくとも、その能力を持っている人と折り合いを付けられれば、社会においては「その能力」があると判断されます。と考えているのです。ビックリしました?

『そもそも西川氏は、『学び合い』について、教育の完成系ではなく、現状より「まし」であると断りを入れています。

学び合い』はパーフェクトではありません。しかし、相対的には現状よりはあらゆる面で「まし」 です。

ただし、この辺りがナラティブであり、理念としての不十分さではなく、取り組みの覚悟がなければ不十分という、煙にまく感じがすることでさらなるつっこみどころともなりえます。』

 そう思われるだろうな~っと思います。

 教育に対する考え方によって言動が変わり、それによって授業が変わることはロジャーズなどの授業分析の初期の研究から言われているところです。ただし、その分析単位は「支持的会話」などの具体的な言動を使っています。しかし、私が学校観・子ども観に基づいて説明すれば、煙に巻くように感じられるでしょう。ただし、これも我々の実証的研究で保証しています。

『「人と関わる能力」を最大限伸ばすという目的において、誰もそれを疑うことはありません。

しかし、授業形態が限定される必要はないとも言えます。』

 たしかし、必要な能力の1つであり、それを伸ばす程度のものだったら他でも可能です。でも、優先順位がダントツの1位ならば、それに費やす時間の比重は違います。

『次に、アレルギーの話。

定かではありませんが、おそらく西川氏は、一斉教授型で行われている授業と、教師の指導観を、子どもの実情から鑑みて懐疑的であったことが出発点だったのではないでしょうか。

カウンターとして『学び合い』が誕生したように感じられます。そしてそれが(その思いが)手引書の中に重々と書かれています。ですから、『学び合い』を大事にする教師も、その懐疑さをしっかり継承しているようです。

基本、従来型の授業をしている人を見下し、バカにしています。それもものすごい量で。

ケンカを売っているのですから、ケンカになるのが当然です。

その点が、本当にくだらないと思っています。

子どもたちを絶対に見捨てることなく、誠心誠意やっている教師が職場にはいるはずです。

どんな授業形態をとっていようが、授業のみならずあらゆるところで子どもと全力で向き合い、一人ひとりに最善を尽くす教師がいます。そして、それをチームで行える職員集団がいます。

もしもそれを「『学び合い』ならもっと効率よく行えるのに」という者がいるならば、残念ですがその人は人格の完成に向かっていない人間でしょう。私感かもしれませんが、折り合いをつける前には人を敬う気持ちがあるはずです。』

 これは誤解されたとしたら反省します。

 ただ、授業形態に疑問を書いたかもしれませんが、その授業をしている人を否定したことは一度も無いと思います。そもそも、そのような人がいることが集団として健全であると言うことはしつこいぐらい言っています。

『最後に、本当は「考え方」だけではないというからくり。

方法論で語られるのは心外であるというのは、よく分かります。

方法だけもってきて、やった気になってしまう教師に釘をさすという意味で本当に大事です。

ですが、教育理念に裏付けされていない方法論など、そもそもあるのかという話です。

特別視ではなく、『学び合い』も方法論であると結局のところ私は思っています。

理念があるのだから、それでいいではないかと思います。

「一人も見捨てない覚悟をもち、それをチームで適えていこう」

それを実態に応じて歩んでいる人、人達に私は敬意を表します。』

ありがとうございます。

大多数の方々は方法論だと思っても良いと思います。でも、一部は理論で考えて欲しいと思っています。

日本人の全てが日本国憲法の全条文を理解していたとしたら怖い。大多数は、「いいんだろうな~」レベルで良い。でも、一部は全条文を理解していなければなりません。集団で理解しています。

[]トライしてください 17:14 トライしてください - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - トライしてください - 西川純のメモ トライしてください - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は仲間の方々が積極的に本を出して欲しいと願っています。それを実現するにはどうしたらいいか考えています。

 現在、『学び合い』を知らない、もしくは誤解している方に理解してもらうには、色々な入り口があるべきなのです。学習者は多様であり、一人一人の理解の仕方が違います。従って、最善の教え手は一人の教師ではなく、子ども達です。私のように『学び合い』に二十年弱、どっぷりと浸かっていると初心者の気持ちが分からなくなります。さらに人の相性は不思議なものです。だから、私と違った人が、多様に入り口を用意して欲しいのです。その中には、「西川純の『学び合い』ステップアップの方法は一人も見捨てない教育を実現するには良い方法ではない」というものもあるべきなのです。(ま、私の著作ではなく、私自身の人格否定をされると悲しいですが・・・)

 実現するには困難があります。仲間の方は基本的に頑固なのです。でなければ今の状態で『学び合い』を続けられるわけはありません。しかし、出版社から本を出すには自分の本当の願い、思いを、「世に受け入れやすいように」本にしなければなりません。しかし、頑固な人はそれが出来ない。これが悩みなのです。これは現在書店で流通している99%以上の現在の価値観を再生産する本と根本的な違いです。

 逆に状況は変わっている部分もあります。全国の仲間のおかげで、『学び合い』の認知度は高まっています。少なくとも、“学び合い”に興味ある人だったら『学び合い』の存在を知っているはずです。そして、よく知っている人だったら、学びの共同体、協働学習と比肩する存在であることは、『学び合い』に反感を持つ人も認めていると思います。さらに多くの出版社から出た一連の本によって、『学び合い』は商業的に成り立つ可能性があると判断する出版社は格段に増えています。

 実は本を書きたいという方はかなりの数になっていると思います。そして、それはもっと増えて欲しい。その仲間の方々に最初に問いたいのは、出版社の編集者から「売れる本にするためにこうしたほうがよい」と言われる提案を受け入れる覚悟があるか?ということです。

 「いや、売れる本にするために、自分の文章を変えることは出来ない」という方もいるでしょう。その頑固さを大事にして下さい。しかし、今の状況では商業的には成り立たないでしょう。その場合は自作本という手段もあります。その本の中に”『学び合い』”と明確に表記していれば、私が首をかしげる内容で仮にあったとしても、私はその本を宣伝します。(私は私の考えに自信があり、頑固ですが、一人も見捨てない教育を実現しようと願っている人だったら、自分と違っていても仲間だと思っています)それによって、既に『学び合い』の仲間になっている方々には有効な本となります。そして時代が来たら、商業的にもペイするはずです。そうなったときに出版社に売り込めば良い。

 さて、ときには厳しいと思われる編集者の提案を受け入れたり、文章を変えたりする覚悟があるという方へ。ありがとうございます。一分、一秒でも短く、全国で地獄の苦しみを味わっている子どもや教師を救うには、そうせざるを得ません。我々は頑固です。そして『学び合い』で物事を考えるようになってしまっています。そうなると、どの部分が多くの人に受け入れやすく、どの部分が受け入れにくいかが分かりません。それを分かるためには、優れた出版社の編集者に出会う必要があります。その編集者と折り合いを付けながら、本を作るしかないのです。

 さて、編集者と折り合いをつける覚悟がある方々に問いたいのは、絶対に本を出したいか?ということです。

 今、書店で並んでいる本の多くは、皆さんと同じ小中高の先生方が書かれた本です。それも、皆さんより若い方もおられるでしょう。少なくとも、その方々が最初に本を書かれた年齢はみなさんより若い場合は少なくないと思います。

 さて、皆さんと同じ小中高の先生で、皆さんよりも若いときに本を出せたのはなぜでしょう?理由は、絶対に本を出したいと願ったからです。そのような方々は、様々な機会に自分の実践、自分の存在を情報発信した方々です。「本を出したいな~」と思っているだけではなく、具体的に行動した人たちなのです。例えば、私のところに「本を出したいのですが」と相談されることもあります。その場合、商業的になりたつためにはどれほど大変かを語ります。しかし、その後、何度も私に食らいついて「本を出すためにはどうしたらいいか」を求め続けた方は今まで一人もいません。でも、そういう人が必要なのです。

 では本の出し方のノウハウをお教えしましょう。分かってしまえば、馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことです。

 どの社会でも同じですが、編集者の世界でも圧倒的大多数の編集者は凡庸です。そのような編集者は自らの頭で商業的に成り立つか否かを判断しません。著者の肩書きや、各種の指標によって売れるか売れないかを判断します。そのような人に売り込んでも、原稿をまともに読まずに拒否するでしょう。

 どの社会でも同じですが、編集者の世界にも能力のある人はいます。そのような編集者は自分の足と手と目と頭を使って商業的に成り立つか否かを判断します。そういう人は山師と同じです。色々な教師の研修会に顔を出し、ネットで検索しながら、金鉱を探します。そして、これはという人と話します。もしあなたが色々なところに出向いて、積極的に情報発信しているのであれば、そういう人が誰かを知っているはずです。

 ネットでの情報発信は大事です。この本の読者層は必ずしもネット住民ではないと言うことです。面白いデータがあります。出版社は紀伊國屋書店の売り上げを売れるかどうかの判断基準としています。ところが、こと『学び合い』の本は一般の本と傾向が違うのです。どう違うかと言えば、アマゾン等のネット書店の利用者の割合が非常に高く、紀伊國屋書店の売り上げでは正確に把握しきれないという傾向があるのです。もし、現状の『学び合い』のユーザーを対象とした本であるならばネットでの情報発信でも商業的にペイするかも知れません。しかし、その場合はフォロアーが数千人で、カウンターが毎日数千上がるような人だけのことです。現状で、それを成り立たせている人は私以外にないと思います。従って、現状ではネットではなく物理的に動くことが必要です。それとあいまっているならばネットでの情報発信は有効です。

 次にするのは、本の企画書です。要は本のコンセプトです。書きたいと思う本の特徴は何で、どのような読者層を想定しているかというものです。自分の考えたコンセプトは最低でも3人ぐらいほかの教師にも意見を聞いてみて、売れそうかどうかを考えてブラッシュアップしましょう。編集者は忙しいので、短い時間で読めるものを作成しましょう。そして、上記で出会い名刺をもらった編集社に送りましょう。あなたが足を使って、情報発信しているならば、あなたの存在を頭の隅に留めているはずです。

 もし断られても、それはあなたが悪いわけでも、編集者が悪いわけでもありません。別な出版社にトライして下さい。同時に、よりいっそう足を使った情報発信をして、あなたを個人的に認めてくれる編集者に出会いましょう。

 世の中には「本を出したいな~」と思う人は少なくありません。しかし、その多くはそれを実現できません。その理由は、多くの人は「本を出したいな~」と思うだけだからです。本屋ならぶ本の著者は、何らかのコネがあるわけでも、金があるわけでもありません。その人達は本当に本を出したいと願い、実際に行動したのです。それも、断られても、断られても、何度も捲土重来しながらアタックし続けたのです。

 願いは叶います。ただ、本気で願う人は少ない。なぜなら、その願いは何のための願いかを真剣に問わないからです。真剣に問い、願って下さい。今、『学び合い』を知ってもらう様々な入り口が必要なのです。それが一人も見捨てられない教育と社会を一分一秒でも早く実現できる道ですから。

 最後に、出版してからのことも書きます。

 一つの本を出すということは、その人に数百万円の投資をすることです。損をさせてはいけません。具体的には約1年で1刷は売れなければなりません。そのためには、売れる努力を著者がしなければならないのです。それは先に述べた情報発信の場ですべきです。営業努力をしてください。売れた人に、次の出版の機会が与えられるのです。

[]ご批判 15:50 ご批判 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ご批判 - 西川純のメモ ご批判 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットで『学び合い』の分析があった。実に、まっとうなご指摘だと思います。このような意見だったら、まっとうに議論できる。ありがたいと思います。

http://go-public.tomosen.net/?eid=99

 ま、一言弁明すれば、私に関して言えば、多様な人に向けた方便を語っているのです。当然、その中には誤解を受けるものもあります。逆に言えば、ご指摘に対することも既に書いています。ま、全てを読むのは難しいですから。

追伸 そして、酔った勢い、また、むごい現状を見た直後に筆に勢いがつく場合があると思います。ただ、それであって一般の教師を否定することは書いてないと思います。書かれていると思われる人がいても、致し方ないですが。

[]勝手連の連鎖 10:42 勝手連の連鎖 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 勝手連の連鎖 - 西川純のメモ 勝手連の連鎖 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の会の最初は新潟での第一回のフォーラムです。次は群馬の会です。『学び合い』で学校作りをした八幡小学校の人が開きました。その会に宮城県から3人の先生がこられました。懇親会で宮城の会を開こう、とノリで決めました。そして開催されました。

 その懇親会に、社会人枠で教員採用試験に合格した人がいました。つまり、まだ、務めていない人です。その人が、こんな会を東京でも開きたいと言いました。私の返答は「どうぞ。私の了解を得なくても、やりたいという人がやればいいんだよ。」と。そして東京で『学び合い』の会が開かれました。

 その東京の会には、神奈川の人が参加しました。懇親会で神奈川の人が集まって、神奈川でも会を開こうと決まって、そして開かれました。

 その会に学陽書房の山本さんが参加しました。山本さんから「『学び合い』の本を出したいのですが、よろしいでしょうか?」と聞かれたので、「どうぞ」と言いました。そして、その場にいた神奈川の実践者を集めて、山本さんといっしょに本を出すようにと言いました。それが「『学び合い』スタートブック」です。あの本のおかげで、一気に『学び合い』が広がりました。

 このようなエピソードは山のようにあります。

 『学び合い』は気軽に会を開けます。だって、自分以外に誰かが来れば会が成立します。そして、人数が集まれば色々なことが出来ます。だって、「多様な人と折り合いを付けることは自分にとって有利だ」と子どもに行っている人達の集まりなのですから。そして、そのような会を求めている人はかなりいます。

 肩の力を抜いて、ノリでやりましょう。3回繰り返せば、色々なものが見えてきます。

追伸 『学び合い』の会には組織はありません。上位組織も下位組織もありません。会則もなければ、会費もありません。同じ願いを持った人達への信頼が組織です。

[]『学び合い』の会 07:15 『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の会 - 西川純のメモ 『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国の大きな書店に行けば『学び合い』関係の本がかなり置いています。

 何故、おいているのでしょうか?それは売れるからです。つまり買っている人がいるのです。我々が願うほど広がってはいませんが、我々が恐れるほど広がっていないわけではありません。身銭を切って学ぼうとする人たちの中に占める、『学び合い』実践者、『学び合い』に興味を持っている人の割合はかなり高いと思います。

 現在、『学び合い』を実践している方々に申します。

 本を読んで実践した、確かに本の通りになっている。「でも、これでいいのだろうか?」と思いませんでしたか?その悩みを持っている人はかなりいます。この悩みを解決する方法は、会って話すことです。おそらく、それ以外には無いと思います。

 会って話せば、「な~んだ。みんなも同じだったんだ」と安心できるでしょう。「へ~、そうなんだ」と学べるでしょう。そして愚痴を言い合えばスッキリします。

 だから是非、『学び合い』の会を開いてください。開き方は「みんなで取り組む『学び合い』入門」に書きました(ありとあらゆることは本に書いています)。誰にことわる必要もありません。やりたい人がやればいいのです。人なんて集まらなくていい。数人集まれば御の字です。でも、コクチーズで案内を作ってください。それを私に連絡してくれれば、宣伝します。そうすれば、実は興味のある人が近くにいることを知るでしょう。自分の実践に自信が無い人こそ開くべきです。教えてあげる、ではなく、教えてもらうために開くのです。

 現在は都道府県単位で開かれている『学び合い』の会が事務所単位で開かれるぐらいになればいいな~っと思います。

 今必要なのは口伝なのです。

 全国の書店で本を買って、実践して、口伝を求めている人がかなりいます。繋がりましょう。

 強調します。誰でも開けるのです。そもそも『学び合い』は「開いてみようか~」という勝手連によって広がったのです。あなたも、是非。