■ [う~ん]構造
私は数多くの教師と繋がっています。そのため、多くの大学教師が知らないこと、だから、書かないこと、でも、現場の教師だったら知っていることを書きます。多くの教師は書きたくても書かないから私が書きます。憎まれ役を背負います。
何故、そこそこの進学校の教師が難しい問題をバンバンやって、大量に宿題を課すのでしょうか?
馬鹿にされないためです。
という人「も」います。
大学教師になって高校教育から離れて、高校の問題を見るのはセンター入試の監督の際、入試問題を読むときぐらいでしょう。最初の5年はバンバン解けます。ところが、どんどん解けなくなってしまいます。使ってない頭がさびるのですね。
いくら専門であっても、偏差値が低いところの高校教師をやっていれば、自分が大学入試で易々と解けた問題が解けなくなります。ましてや昔はなかったパターンの問題の場合、高校生と同じレベルです。
その教師が進学校に異動すれば、そのような問題を解かねばならない子ども達に教えなければなりません。不安です。その不安を子ども達に悟らせない方法は、物量作戦となります。
教師として受験問題の分析が出来るようになるとしたら、5年は必要です。その頃になれば、多くの問題の中で、ポイントとなるパターンは何かを分かるようになります。そうすれば問題を精選して与えることが出来ます。ま、その頃になると、次の異動が見えてくる。
ただし、この作戦は偏差値65程度の学校にしか通用しません。何故なら、偏差値70以上の高校の場合、物量作戦をやっても子どもは乗り越えます。そして、「先生、これはどう解くの?」と超難解な問題を聞くのです。教師は解けません。だって、そんなこと物理学科でも、数学科でも習いません。数学や物理学ではなく受験テクニックなのですから。そこで恥をかきます。
彼らは自分で受験勉強できます。だから、受験勉強の素人にかき回されたくない。だから、潰すのです。みなさんも中学校3年生、高校3年生の時、「授業なんてやめて自習にして。受験勉強させてよ」と思いませんでした?
やがて偏差値70以上の高校の教師は、子ども達に任せるという方法をとります。
例えば、灘校の橋本先生は「銀の匙」を一年間教えたそうです。おそらく、受験技術は子ども達に任せて、それと矛盾しない程度の時間を違う世界に浸らせたのだと思います。
でも、上記の構造は変わらないだろうな~・・・
追伸 『学び合い』だったら、教師は受験技術で子どもと競い合う必要性はないのですが・・・・。「凄いね~」とそこは褒めて、人の道を説けばいい。例えば、野球の監督が選手と実際のプレーで競い合う必要はないです。
■ [う~ん]公立学校
今、大学は淘汰の時代です。でも、高校も同じです。厳しいのは私学ですが、実は、それ以上に問題なのは公立です。
公立の強みは「学費」です。極論すれば、「それのみ」と言っていいかもしれません。
そして弱みは「人事の流動」です。これは「そこそこ」を維持するには良い方法ですが、強みを生み出すには弱点となります。
例えば、受験指導の場合です。公立の教師の場合は、偏差値40ぐらいの高校の教師が偏差値70ぐらいの学校に異動することはありえます。しかし、2つの学校で求められる能力は天と地ほどの差があります。そのような教師に早稲田の理工学部の問題の傾向を生徒に問われても何も言えません。
また、就職指導の場合、地元企業担当者との長い時間をかけた信頼関係が必要です。しかし、それを築けるほど長く学校に勤務するわけではありません。
これを乗り越えるためには、ヴィジョンと戦略が必要です。例えば、自校が進学をメインとするか、就職をメンインとするかを決めなければなりません。そして、進学だとしたら、旧帝国大学レベルか、地方国立大学レベルか、早慶レベルか、マーチレベルか等のターゲットを絞らなければなりません。この企業だったら当然やっているターゲット・マーケティングをやっているところが公立学校でやっているところがあるでしょうか?
もちろん、地方進学校の場合、偏差値70から偏差値55ぐらいに広がっており、ターゲットが定まらない場合があります。しかし、そもそも成績を輪切りにして入学させたのに、それだけ分散が広がっていたとしたら、企業の表現だったら「品質管理」が悪いのです。それを仕方が無いと思うのでは無く、改善すべきものだと考えるべきです。
その上で、子ども達の進路指導を通した子ども達が自分のターゲット・マーケティングを行うべきです。その際、偏差値ばかりではなく、家庭の資産状況を含めた様々な家庭環境を勘案して、就職先をイメージさせます。
例えば、私立文系志望の子どもには数学・理科には基礎的なテストを行い、宿題はあまり与えません。私立理系志望の子どもは国語・社会には基礎的なテストを行い、宿題はあまり与えません。地方国立大学志望の子どもに対しては、センター入試レベルにターゲットを絞ります。
ところが、残念ながら学校としてターゲットを絞っておりません。また、子どもにターゲットを絞らせ、それにあった指導をしていません。結局、各先生方が個人としての善意の指導をします。が、ハッキリとした理論的根拠があるわけではありません。あとは、「いっぱいやらせればいい」というごくごく素人的なことしかできません。その先生方が、「東京大学にも対応できる課題」をいっぱい与えて、それが全教科だったらどうなるでしょう?慌てて付け加えますが、個々人の先生方は悪くない。戦略が無い状態で、学術的な理論が無い状態で、個人として出来ることはそれぐらいしかありません。
毎年、雑誌に発表される進学実績を見ると思います。「中学校3年生の違いなんて地域によってそんな差が無いのに、どうして、こんなに違いが出るのだろう」と思います。
残念ながら戦略のあるなしでは無いと思います。理由はどこでも人事は流動的で、人事の様々な要素から、特定の学校に出来る配慮は限定的だからです。じゃ、差があるのは何か?私は教師が子どもの邪魔をするか、しないかの差だと思います。それが校風です。
就職に関しても同じでしょう。
戦略を立てられる公立高校があれば大勝ちできるのにな~っと思います。だって、「学費」というアドバンテージを与えられているのですから。逆に、公立が変わらない現状だったら、私学は分のいい戦いを出来るのにな~っと思います。何故なら、私学は中長期で物事を考えられるし、何よりも生活がかかっている。
追伸です。義務教育、特に、中学校の先生方へ。高校とはそんなところなのです。心して、進路指導をしてください。安易に偏差値で決めずにね。
追伸の2です。私はランクを落として、家から徒歩でも通える新設校に入学しました。おかげて、ガリ勉しなくても学年トップレベルは維持できました。おかげてノビノビとして時間を過ごしました。1年の殆どは自然科学部で蝶を追いかけましたし、生徒会の会計の仕事もしました。ただ、新設校で外部模試を受けさせるということがなかったため、高校2年の冬に最初に受けた模試では、英語の偏差値が27でした。1年間の受験勉強でなんとか筑波に滑り見ました。もう少し早く模試を受けたらと思う面はあります。ランクにあった高校に進学したらそうなったと思います。しかし、逆にそうなったらついて行くのに必死になっていただろうし、脱落し、自暴自棄になったかもしれません。ということで、ランクを落としての進学は、私は成功だと思っています。