■ [大事なこと]高校が熱い
アクティブ・ラーニングが出始めた頃は、「アクティブ・ラーニングって何?」という高校の先生によくありました。ところが、今、『学び合い』の授業公開をすると、それとは別種の人が多くなったと思います。本当にアクティブにしたいし、その先に何かを生み出したいと思う人です。これって総合学習が変質した過程にはなかったことです。
何故だろうと思います。
単純ですが、ネーミングの違いです。
総合学習の根幹は学習指導要領を読めば明かです。「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」が本体です。でも、総合学習という言葉によって「総合」であれば、クロスカリキュラムであれば総合学習になってしまった。つまり、子どもの姿ではなく、教材の姿にすり替わってしまった。
一方、アクティブ・ラーニングは子どもの姿です。が、「深い学び」を付けてしまった。ま、ソフトランディングしたい人がそう考えたのですよ。でも、そのとたんに、総合学習のように変質する。
高校の先生方が縛られるのは大学入試です。そこは「主体的・対話的な深い学び」ではなく「アクティブ・ラーニング」が支配しています。
大学入試を支配しているのは、採用試験です。採用試験において「主体的・対話的な深い学び」という甘い言葉が入る余地はない。
ま、その甘い言葉に逃げる人が大部分ですが、そうでない人がいる。だから、高校の先生方の取り組みの方がシビアと感じます。
■ [大事なこと]文系・理系
文系・理系のいずれかを選ぶかは、受験科目の選択で決まります。ようは国語・社会と数学・理科のどちらが得意かということです。でも、文系は分かりませんが、理学部に進学した私は高校の数学と理科は、ありゃ本当の数学と理科と縁もゆかりもないと思っています。
高木貞治の解析学概論、ファイマン物理を読んだときのゾクゾク感は高校の授業で全く感じたことがありません。それらを学ぶために高校の教育が必要であるとは思いません。もっと凄いのは、大学で学んだ生物学(私の専門)において高校の生物学を学ぶ必要性を感じません。それが証拠に、生物学を専門にする大学の学部が生物学を試験科目の必修にしません。
これは、文系も同じだと思います。
本日、家内と話したとき、なるほどと思いました。
理系の特徴は、情報があったとき「ようは何?」と考えます。ゴチャゴチャ感が嫌なのです。もちろん、ゴチャゴチャの理屈が分かると安心しますが、ゴチャゴチャがそのままであることが嫌なのです。
ところが文系は、それほど単純に割り切れないと思います。例えば、「点は位置があるけど面積がない(本当だったら見えません)」、「平行線は交わらない(見たのかよ)」という言葉をすんなりと信じられません。一つ一つのことに、そのことから派生することをイメージします。特に、「これをやったたら、あの人はこう思う」という想像をします。それによって物語を生み出します。これこそ文系の本体のように思います。結果として、物理・数学が気になって、素直になれないのです。
私が本当に言いたいのは、以下です。
今、理系が良くて、文系がダメという風潮です。ジョブ型は良くて、非ジョブ型はダメとは思いますが、理系・文系の比較は単純ではないと思っています。いや、理系の専門としている構造化しやすい知識・技能は速やかにAIが乗っ取ります。だから、文系こそ生き残ると思っています。でも、それには文系が文系であるのは国語・社会が得意ではなく、人の気持ちをくみ取った物語を生み出せることであると考えるべきではないでしょうか?
■ [大事なこと]繋がってください。
社会心理学者として有名なミルグラムは、スモールワールド実験というものを行いました。方法はアメリカのある地域に住む人を無作為に選び、遠く離れた地域に住む人に手紙を転送するよう依頼したのです(Milgram 1967, Travers & Milgram 1969)。ミルグラムが注目したのは、いったい何人の人を経由して届くかということです。その結果、平均6人の人を介して届くことを明らかにしました。このミルグラムの実験は様々な人によって検証され、「全世界の人は6人の人を介して全て繋がる」(スモールワールド仮説)という大胆な仮説となりました。
実際にスモールワールド仮説が正しいか否かは別にして、世間は案外狭いというのは我々の実感です。ある会合でたまたま席の横になった人と話し合ったとき、共通の友人があり話が盛り上がったということはよくあることです。さて、なぜそのような現象が起こるのでしょうか?
単純なモデルを描いてみましょう。私は年賀状を毎年200枚出します。私は比較的多いかも知れませんが、50枚ぐらいを出す人はいるでしょう。さて、仮にみんなは年賀状を出すような人が50人いたとします。送った50人の人にも50人の年賀状を出す人がいるのですから、2段階目で2500人となります。3段階目では125000人、4段階目では6250000人、5段階目では312500000人となり、6段階目では15625000000人となり世界人口の2倍以上の人数になります。となるとスモールワールド仮説はうなずけるな、となりますが、実際はそう単純ではありません。何故かと言えば、我々の人間関係はクローズする傾向があるからです。
アメリカの社会心理学者がある中学校の生徒の人間関係を調べました(Rapoport & Horvath 1961)。まず、各人に親友の名前を挙げさせ、親しさの度合いで順序づけてもらいました。さて、生徒集団の中から強く繋がっている10人の集団をピックアップしました。そして、その10人の最も親しい友達を先のリストから選びました。そして、その友達の最も親しい友達を先のリストから選びました。これを繰り返しました。ところが、先に述べたように強く繋がっている人同士で一つの集団を作り上げる傾向があるので、上記の集団は一定以上には広がらず、比較的狭い集団でクローズしてしまいました。これは我々の日常経験からも一致すると思います。
我々は狭い集団を形成する傾向があります。しかし、とんでもなく離れた人とも繋がることが出来ます。どうしでしょうか?これに対して単純で画期的な解答を与えてくれたのは、ワッツとストロガッツです(Watts & Strogatz, 1998)。彼らは、基本的に狭い集団「群」の中に、離れた集団を繋ぐリンクををごく少数でも入れただけで、劇的に変わることを明らかにしました。例えば、東京はJRや私鉄や地下鉄で密接に繋がり合った町で構成されています。札幌もそうです。しかし、東京と札幌を鉄道、特に在来線でしか繋げられないとしたならば、両者の交流はかなり困難です。ところが、札幌と東京を飛行機で結んだとたんに、両者の関係は激変します。札幌と千葉、札幌と埼玉、札幌と神奈川、小樽と東京、小樽と千葉・・・・という多くの航空路を開設しなくても、たった一つの札幌と東京の路線だけで関連する地域の関係は激変します。ワッツとストロガッツはそれを科学的に明確に示したのです。
多くの人にはどうでもいいかもしれませんが、一応、学者なので補足です。スモールワールドを実現する方法は、上記の方法以外に、ハブによって実現できると言うことも証明されています。つまり、特定の人がものすごく多くの人とリンクを張るという方法です。しかし、少なくとも我々の教室での観察によればそれはあたりません。まあ、ごく初期の『学び合い』では相対的にはそうかもしれませんが、長続きしません。というのは、人と人とが教室でリンクを張るにはとても大きな負荷がかかるからです。例えば、一人の人が誰かを説明するとなると、一定時間かかります。例えば、ある人が10人の人とリンクを張ると言うことは時間的には無理です。そして、我々の観察では、多い人でも5、6人で、少ない人でも1、2人程度の差しかありません。スケールフリーと呼ばれるモデルは、リンクを形成することに負荷があまりない場合は成り立つモデルですが、リンク形成に負荷がかかる教室の場合はワッツとストロガッツのモデルの方が適していると思います。
もう一つの補足は、現在のネットワーク分析で分析対象としているネットワークより、『学び合い』のネットワークは高度です。どこが高度かといえば、自発性と可逆性の高さです。例えば、『学び合い』では、出来上がったネットワークを子どもたちは、自分たちの判断で自分たちのリンクをスクラップアンドビルドしつづけます。『学び合い』では「ねえ、お試しでいっしょにやらない?」という発言を気軽にします。これって、現在のネットワーク分析では分析対象としているネットワークにはないものです。その意味で、最も優れたネットワークだと私は思っています。
さて、長々と書きましたが、『学び合い』のネットワークも同じだということをご理解ください。今、47都道府県の中で『学び合い』のグループが形成されているところが過半数です。しかし、それぞれのネットワークが弱いと思います。それぞれをつないでいるのは事実上、私の他、一握りのハブによって成り立っています。考えてください。地元の『学び合い』の実践者以外に、47都道府県のどれだけの人と繋がっているでしょうか?せめて5ぐらいの他県の人と繋がる人がもっと増えてほしい。それも遠方の人を含んでです。その数は多くなくても結構です。ごく一部でもよい。その人が飛行機になり、飛行場になればスモールワールドは実現できますから。
Milgram,S., "The Small World Problem", Psychology Today, 60 – 67, 1967
Travers,J. and Milgram,S., "An experimental study of the small world problem", Sociometry 32, 425, 1969
Watts,D.,J.,& Strogatz,S.,H., ”Collective Dynamics of ‘Small-World! Networks”, Nature, 393, 440-442, 1998