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2018-02-14

[]普通科 22:10 普通科 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 普通科 - 西川純のメモ 普通科 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 愚痴です。

 日本全国の普通科高校の先生方に申し上げたい。教え子の将来は大丈夫ですか?

 例外は、旧帝国大学、筑波、広島、早稲田、慶応に進学する、人付き合いの出来る教え子です。

 別な言い方で言えば、偏差値70以上の学校以外の先生方です。

 みなさんが、今やっているレベルならば、通年を平均すればネット授業の方が勝ります。

 

 ま、分からないだろうな。

 私が本に書いたより、2020年までに大きく変わる。

1) 新テストの記述式・段階別表示で偏差値が意味を失う。

2) 上記の結果として、各大学が就職できる子どもを選別する。

3) E-ポートフォリオの意味を、アイビーリーグの入試で理解するところと、それ以外で大きな差が生じる。企業に高校から大学までの7年間のポートフォリオで勝ち組になろうとする大学が生まれる。

 

 といっても分からない人が多すぎる。この時代、大勝ちする人がいる。反面、目も当てられないほどの凋落をする人がいる。

[]大義は我にあり 18:10 大義は我にあり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大義は我にあり - 西川純のメモ 大義は我にあり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度も書いたことです。

 歴史上の革命は、常に圧倒的大多数の庶民の不満から発します。しかし、不満だけだと既存の権力者に各個撃破されてしまいます。しかし、不満が継続的に続くと、その時代のインテリが革命に参加し、成就します。

 何故なら、個々人の利害を超えて集団を形成するには大義が必要だからです。

 『学び合い』には、一人の子どもも教師も見捨てられない教育・社会を実現するという大義があります。一方、『学び合い』に対して批判する方々が掲げる大義を見たことがありません。だから、私は中長期的には安心しきっています。ただ、急がなければ不幸になる子ども(具体的には非正規雇用で一生涯を過ごす子ども)が今も量産されています。それが辛いのです。

[]情報発信 17:40 情報発信 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 情報発信 - 西川純のメモ 情報発信 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほど、山形県の先生のお悩み相談をZoom(インターネットのテレビ電話)でしました。そして、以下のような説明をして情報発信をすることをお願いしました。

 平成29年度の学校基本調査によれば山形県の教職員数は小学校4049人、中学校2387人、義務教育学校36人、高等学校2564人です。小中高の先生の数は9036人です。

 人は「他の人もやっている」ということが最も説得力がある説明なのです。ムーアに依れば採用者が16%を超えた段階で、大多数の人(68%)が「みんなが採用している」と感じ、採用する人が増え、それによってさらに採用する人が増え、パンデミックが起こります。つまり1446人の人が採用したらパンデミックが起こるのです。

 ところが、大多数の人が「みんなが採用している」ということをどのように判断しているかでしょうか?政府統計によって判断しているわけ無いですよね。SNSの情報が大きな手がかりになります。総務省「社会課題解決のための新たなICTサービス・技術への人々の意識に関する調査研究」(平成27年)によれば、SNSを利用して自ら情報発信を積極的に行っている人は11.8%に過ぎません。つまり、171人の人が情報発信を積極的に行えば、SNSを利用している人にとって、1446名の人が情報発信しているように感じるのです。

 171人なのです。無茶苦茶な数では無いですね。ようは『学び合い』の実践者が積極的に自らの実践を発信すれば良いのです。

 以上、証明終わり。

 

追伸 上記の計算の基礎となった積極的に情報発信している人の情報は必ずしも自らの実践というわけではありません。従って、実は171人も必要ないのです。理系人間としては、以上のようにエビデンスによって考察するのが楽しいのです。物理学ではフェルミ推定とか第0次近似といいます。

[]生物学 06:30 生物学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生物学 - 西川純のメモ 生物学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は生物学と相性が良い。

 『学び合い』のディーブなところを生物学を学んだ人は一発で分かってしまうことがあります。修羅場を経験せずに。お亡くなりになったジーンも大学で生物学を学んだと聞いて、さもありなんと思いました。彼は『学び合い』が生物学的に妥当であると理解し、納得してくれました。

 「多様な人間と折り合いを付けて自らの課題を解決すること」という学校観は、ルーツを探れば、その一つは1930年代の今西錦司の研究(棲み分け理論)にルーツがあります。私は高校の時、今西錦司全集を読んで心酔し京都大学で学びたいと思いました(無理でしたが)。

 教育に関して理論的に分析する人は昔からいて、今もいます。それらの言説に接するたびに違和感を持ちます。その理由は、その言説は人間にとっては成り立つが、その他の生物には成り立たないからです。いや、近代化した人間には成り立つが、例えば猿人に当てはまらない。だから、「おいおい、猿人がそうおもうか?微生物がそんなこと望むか?」と思ってしまうのです。そして、「それって実証的データで保証しているの?」と思って調べると、案の定、実証的データの基礎はないのです。

 ツイッターで『「学び合いは生徒全員が幸福に生きていくための学習形態だ」というのは詭弁ではないだろうか。前提として幸福に生きるとはどのようなものか』という文章に接しました。なかなか、鋭いですね。でも、生物学を学んだら、その答えは自明です。「自己保全と種の保全」です。我々生物(ホモサピエンス以外も)はそれを実現するためにプログラムされています。それが幸福、不幸の実像です。失礼ですが、そう思ってしまうと、教材云々は些末なことに過ぎません。

 だから、子どもの興味関心の持たせ方も、教材・発問ではなく、他のホモサピエンスとの関わりによって実現しようと思います。

 だから、子ども観も個体レベルではなく、群れではなく、生態学的な個体群として考えています。

 『学び合い』で修羅場を何度も経験し、「一人も見捨てたくない」と拘って乗り越えると、この生物学的理解に至ります。しかし、生物学の進化と生態学を学んでいると、非情にコンパクトに理解できます。

 『学び合い』の基本的な理論構築とその基礎となる実証的研究を生物学出身(それも生物物理学)の私がやったことは『学び合い』の性格に良くも悪くも大きく影響していると思います。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070925/1190724156