■ [大事なこと]問い
学校の様々なルールの大部分は教師が決めています。これはおかしい。
教育基本法第一条「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあります。民主的な国家の形成者を育成するにはどうするかを考えれば自明だと思います。教師が決め続ければ、選挙権を持っても選挙に行かない若者が生まれるのは当然です。自著で恐縮ですが、「アクティブ・ラーニング時代の教室ルールづくり入門」(明治図書)で書きました。「子どもがルールを決め、守れるか?」ではなく、「子どもがルールを決め、守れるように育てなければならない。では、どうするか?」という問いから始めねば。出来るかどうかではなく、させなければなりません。
■ [う~ん]教材開発
学会で教材開発の発表を見ると、「それで子どもの人生は変わる。それを使うと子どもが幸せになるの?」と思ってげんなりしてしまいます。私の頭は「何々が分かる」ではなく「子どもが幸せになる」が目的になったからです。
昔は教材開発が楽しくて、その種の論文をたくさん書いたのだけど。
■ [お誘い]和歌山の会
4月7日に和歌山で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/s/event/index/510794/
■ [大事なこと]対象・ミッション
こんな会話があったら、と思ってください。
私:何を書けば良いのですか?
校長:何でも良いです。自由です。
校長:原稿用紙5枚程度の文章を書いて下さい。
私:何のための文章ですか?
校長:まあ、文章の練習ですので特にありません。
私:誰が読むのですか?
校長:私が読む「かも」しれません。特に誰が読むわけではありません。
こんなこと言われて、「書くぞ~」って思いますか?絶対に思いません。第一、こんな馬鹿馬鹿しいことを言う校長はいないと思います。が、多くの教師はこんな馬鹿馬鹿しいことを子どもに言っているのです。
我々が書く文章は対象とミッションがあります。例えば、「同僚が企画に賛成してくれる」、「保護者が保護者会に参加してくれる」というようにです。ところが、学校で書く作文は誰が読むかを明確にしていません。そして、それによって何を達成するかというミッションがありません。これでは作文を書く気になるわけありません。
小学校にスピーチタイムというものがあります。順番で教室の前に立って話すのです。大抵は盛り上がりません。そして、教師のおざなりの質問で終わります。盛り上がらないのは対象とミッションが明確になっていないからです。
詳しくは「子どもが夢中になる課題作り入門」(明治図書)をご覧下さい。