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2018-05-05

[]浜松の会 21:25 浜松の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 浜松の会 - 西川純のメモ 浜松の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 5月19日に浜松で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ogym/20180502

[]天才 18:49 天才 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天才 - 西川純のメモ 天才 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大部分の職業はAI+ロボットに置き換えられます。しかし、一部の天才は置き換えられません。それは数学の天才のみならず、寿司職人の天才も、大工の天才もです。では、その人達はもの凄い金持ちになるのでしょうか?

 そうなるかもしれませんが、別な未来も出来ます。

 「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」と言われます。収入が10倍だから10倍食べるわけはありません。10倍高いものを食べることは出来ます。でも、何故、値段が10倍のものがあるのでしょうか?それはみんなが欲しがるから、つまり、希少性があるからです。でも、その希少性の価値を本当に分かる人はどれほどいるでしょうか?10万円のワインでも300円のワインでも酔えますし、最後はオシッコになるのです。10万円のワインの価値が分からないのに「いいのだろうな~」と思う庶民の羨望が、10万円のワインを生み出すのです。そんなの馬鹿馬鹿しいと思いませんか?

 庶民が人との繋がりの中に喜びを見いだし、人が見向きもしないものに価値を見いだしたなら。そんなとき少数の天才は何を欲しがるでしょうか?金ではありません。尊敬であり、感謝だと思います。

 そんな未来もあります。私の妄想ではありません。ホーガンというSF作家が「断絶の航海」で描いた社会です。

 トマ・ピケティは「21世紀の資本」の中で経済格差が広がることを述べています。残念ながらそうなるかもしれません。でも、価値観が変われば、そうならないかも知れません。ようは、庶民が金持ちを喜ばす羨望を持つか、持たないか、庶民の価値観の違いによって変わります。それを決められるのは、我々教師です。政治家ではありません。

[]給与 18:16 給与 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 給与 - 西川純のメモ 給与 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、家族で昼飯を外食しました。そこでなにげに週刊現代を手に取ると『AIが完全予測、給料が「下がる仕事」、「上がる仕事」全210職種』が特集号です。一番下がるのが歯科医師で64万円が18万円になります。税理士も42万円が18万円になります。それを見ているうちに何故か下がる職業の給与が、現在の給与に関わらず17万円~18万円になるのです。一方、上がる職業も現在の給与に関わらず22万円~23万円になるのです。つまり、どんな職業も17万円から23万円の範囲に収斂します。大当たりの職業も大外れの職業がないのです。月給の16倍がだいたい年収ですから、日本人の大部分は年収320万円プラマイ48万円になるということです。

 AIがどういう理屈でそのような給与を予想したかは、本来、人間の言葉で表現できません。人間には分からないけど、当たるという事実があるだけなのです。でも、この結果はなんとなく理解出来ます。

 現在の職業のほぼ全てはAI+ロボットに代替え可能です。例えば、今後、人間より上手い外科手術が可能なロボットは実現可能なのです。だからロボット本体の価格、ソフトの開発費用、メンテナンス費用を減価償却計算すればAI+ロボットに対して1年間に費やす費用は計算できます。それが職種によってあまり関係ありません。汎用的なロボットをつくれば、職種の違いはソフトで対応可能です。そのAI+ロボットではなく、人間にやってもらう費用は320万円なのだと思います。

 車が出来る前は20km先に到着する時間は身体能力に依存していましたが、車が発達すると本人の身体能力に無関係になるのと同じです。様々な職種に求められる能力をAI+ロボットが易々と乗り越えられるようになるのです。

 どんな人も大勝ちできない一方、どんな人も大負けしないのです。AI+ロボットが補ってくれますから。例えば、肢体不自由児がトラックの運転手になれるのです。

 こんな時代をどう思いますか?私は素敵だと思うのです。こんな時代だったら、どんな職業にもなれるのです。収入は差が無いのですから、自分のやりたいこと、自分のライフスタイルで職業を選ぶことが出来るのです。競争が馬鹿馬鹿しくなりますね。

 可哀想なのは、遠くない未来、少なくともその子が中年になる頃には暴落する職業になるために、多感な子ども時代を犠牲にしている子どもでしょう。

[]入試改革 18:16 入試改革 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 入試改革 - 西川純のメモ 入試改革 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 入試改革をやっていますが、根本的な改革は教育と一対にして初めて効果があります。

 私だったらネット検索を自由にやっていい入試をします。いや、外にいる人に電話をして相談してもいいようにします。え?と思いましたか?当然、テスト問題は大化の改新の年号を問うものではありません。その学部の研究室が現在取り組んでいる課題を出すのです。つまり、答えがない問題です。そして、その研究室の人達が、「なるほど」と思うような回答をした人を合格させればいいのです。

 でも、ネット検索のみならず、外にいる人に電話で相談していいとなれば、カンニングし放題ですよね?でも、教育を変えれば問題ありません。

 アメリカの入試はズルしようとすれば、ズルできる余地が大きいのです。でも、ズルする人はいません。何故なら、ズルして入っても、入学後の勉強について行けず落第するからです。例えば、入試と同じようにネット検索、人との相談自由の環境で、毎週数多くの答えのない課題を与え、その道の研究者を「なるほど」と思わせられないならば落第するようにすればいいのです。ちなみに、それがアクティブ・ラーニングの真の姿です。そして、アメリカのアイビーリーグではそのような教育をしており、だから、ノーベル賞学者を数多く輩出しているのです。

 そうすると、「そんなことに耐えられる子どもは多くはない」と心配されるかも知れません。いいんです。そんなことに耐えられる子ども「だけ」がアカデミックな大学に進学すればいいのです。そして、そのような子どもの数に合わせた大学のみがアカデミックな大学として生き残ればいいのです。

 圧倒的大多数の子どもはそんなことに耐えられません。いいんです。その子たちはジョブ型の中学、高校、大学で学べばいい。そして、そのジョブを実際に経験します。つまり、働きながら学ぶのです。

 だれもかれもが因数分解を学ばされ、だれもかれもが杜甫の詩を学ばされるより、遙かに自然だと私は思います。

[]城北の会 11:18 城北の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 城北の会 - 西川純のメモ 城北の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 5月20日に東京都練馬区で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/519781/