■ [大事なこと]会議2
何故、全体での話し合いや会議を教師が仕組んではいけないかを簡単に説明します。
人が話し合うとき、色々な場合があります。それぞれに最適な大きさがあります(ということを実証したのです。でも、分かってみれば当たり前のことです)。
ちょっとしたことを聞いたり確認する場合は二人です。ところが、何かを創るとき、例えば計画を立てるときは四人です。そして、全体の意思確認・決定は全体でやるべきなのです。話し合うジャンルによって、話し合いのサイズが違うのです。
ところが「教師」が全体の話し合い・会議を仕組むと、その流動性がそこなわれるのです。
太田秀人、西川純(2004.11):学習過程における集団の機能と構造に関する研究、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、3(2)、19-40
■ [大事なこと]最大の発見
我が生涯における最大の発見は、「子どもの良い変容は教師の手立てによるものではなく、教師のやっている邪魔をしなければいい」というコペルニクス的な転換です。一人の小賢しいテクニックより、ホモサピエンス100万年の集積の方が遙かに優れています。
西川純、萩原恵美(2001.6):継続的観察を基にした理科学習集団形成に関する事例的研究、科学教育研究、24、日本科学教育学会、122-130
■ [大事なこと]会議
最近のゼミ生から「発言できない子どもがいます。どうしたらいいか?」と質問を受けました。私の応えは、全体での話し合い・会議を教師が仕組まないこと。教師がやるべきことは、その課題を解決する意味を語ることです。
全体での話し合い・会議が必要なのは、最後の、最後の全体の意思確認・決定の時だけです。それ以外はゴチャゴチャと話し合えばいいのです。いや、全ての人が話す必要はありません。本人が参加していると感じられる距離感で話し合いが成立していれば。
こんな当たり前のことが何故分からないのだろうか?喋る職業である教師だって職員会議で手を上げて発言するのは難しいのに。
太田秀人、西川純(2004.11):学習過程における集団の機能と構造に関する研究、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、3(2)、19-40