■ [ゼミ]いい感じ

私は細かい、でもハッキリした言動で色々なことを判断しています。で、本日、とても良い「香り」をゼミで感じました。何を見取ったか?それは「ひ、み、つ」。確信します。ゼミ生は絶対に分からない。ふぉふぉふぉ。ま、セオリー通りに、そのうち全体に語ります。
■ [大事なこと]性の多様化

朝食を食べながらNHKの番組を見ていました。毎日、色々な人の朝食風景を写すコーナーがあります。私は好きです。ボーッと見ていると、本日は中性的な男性(今風ともいえます)が朝食を作っています。私は「あ~、共稼ぎで、朝は旦那さんの担当なんだな」と理解しました。やがて「ご飯が出来たよ~」と声をかけて出てきたのは男性でした。ここに至って、同性カップルの家庭の朝ご飯の風景であることを理解しました。
LGBTの権利を守り、差別・偏見を無くそうという文脈での番組は何度も見たことがあります。しかし、ごくごく普通の生活を、ごく普通に放送している。その普通さに、「あ~、ここまで来たんだな」と思います。
男性の中にも、「自分が男性であると自覚し、男性が性対象とする男性」、「自分が男性であると自覚し、女性が性対象とする男性」、「自分が男性であると自覚し、男性と女性が性対象とする男性」、「自分が女性であると自覚し、男性が性対象とする男性」、「自分が女性であると自覚し、女性が性対象とする男性」、「自分が女性であると自覚し、男性と女性が性対象とする男性」がいます。それは女性も同様です。この組み合わせは多数です。更に言えば、上記に書いていない要素で分類すれば膨大です。
脱工業化社会では個性化します。性も個性化し、結婚も個性化し、家族も個性化します。
性対象は多様化しますが、性行為は本能の奥深いところでコード化されているので頑強です。同様に、家族は多様化しても、家族の機能である子孫を産み、育てるという本能は頑強だと思います。日本が存在するためには、同性婚を認めるだけではなく、同性婚で子どもを産み・育てる仕組みを創らねばならないな、と番組を見ながら思いました。
■ [大事なこと]PDCAサイクル

本日、「すみません、一つお話お聞かせください。PDCAサイクルは、まさに工業製品をつくる過程のもの。Society3.0的考え方だと思うのです。これと教育とは合わない。むしろ脱却していかねばならないと思うのですが、いかがでしょうか。」という質問を受けました。応えは、「正解!」です。
PDCAサイクルは工場での品質管理システムを提案したデミングに端を発しています。だから、Society3.0のど真ん中です。そんなものを学習指導要領のど真ん中に据えて、かつ、Society5.0を目指すということは、文部科学省の中にSociety5.0を分かっている人が極々少数であるということの証明です。(ま、それが健全な組織というものです)例えば、「絶対王政によって民主国家を運営しよう」と同じぐらいバカげた言明です。
何度も書きましたように、脱工業化社会のコードは「個性化」「総合化」「非同時化」「分散化」「適正規模化」「地方分権化」です。一人一人が個性化・非同期化した学習をするとき、PDCAは個々人がすべきことです。更に言えば、PDCAの順番、つまり計画、実行、評価、改善の順番で実行するなんて不自然きわまりないです。残念ながら現在の理科教育では、探求の過程があることを前提としています。それによれば「課題の設定」→「情報の収集」→「整理・分析」→「まとめ・表現」→「課題の設定」・・・・というサイクルがあるそうです。書きながら笑ってしまいます。こんなことはないことは50年以上前のカール・ポパーやトーマス・クーンの科学史研究から明らかなのです。未だに火打ち石を使っているぐらい古くさい考えが残っています。考えてみて下さい。課題設定が出来る、また計画が立てられるには、そもそもどういうことが起こるかが予想できるからなのです。実際の問題解決や発見の過程は動的でグチャグチャしたものです。
実際はグチャグチャしたものなのですが、工業化社会の人達はそれを「規格化」「分業化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」しようとするのでねじ曲げてしまうのです。
更に言えば、学習指導要領自体が規格化がコードのSociety3.0そのものです。ま、学習指導要領自体の縛りは緩いので、現状でもSociety5.0は可能ですが。例えば、電子教科書が本格化したら教科書検定制度は有名無実になるでしょうから。
Society3.0の勝ち組がSociety5.0の案を作っている限り、Society5.0は生まれないでしょう。Society3.0の勝ち組は見向きもしないニッチな市場でSociety5.0は生まれ、育ちます。