■ [ゼミ]頼もしい

本日のゼミでビックリしたこと2件。
まずは、昨日の飛び込み授業、選択科目の授業です。ビックリ。
『学び合い』の手だれた人でも困難な状況です。
『学び合い』の最初の語りは「一人も見捨てずに」です。普段暮らしているクラスの場合、そう思っていなくても、そう思ったふりをします。ところが選択科目の場合、そうしなくてもいい。だから、大変なのです。
それを乗り越えたゼミ生は凄いと思います。
ものすごく、愚痴られました。ま、私に甘えたいのでしょう。
もう一件。
次の飛び込み授業をやる学生から、先生は黙っていた欲しいということです。
飛び込み授業の後の授業検討会、参観者から色々な質問が来ます。
授業者であるゼミ生が応えるのですが、私が横にいるとやりにくいとのこと。
もとより、私は何もしゃべるつもりもありません。今回はゼミ生の飛び込み授業に私も参加するまれなケースです。
で、私は授業者の席に座らず、参観者の最後列に座るつもりです。
いずれも、頼もしい。
ということで、自慢します。
うちのゼミ生は凄いんだぞ!と。
■ [大事なこと]見取り

『学び合い』には仕掛けがあります。子どもと教師の全員にICレコーダーを装着し、ビデオカメラで記録し分析する。それを3ヶ月から数年。そのようなデータに基づく仕掛けです。根拠俺とは違います。
西川ゼミの学生(現職経験無し)が2時間の飛び込み授業で手のかかるクラスを変えることは出来るのは、その仕掛けを知っているからです。ツボどころはどこかを見取り、そのツボにあった行動をする。その行動がさりげないので、何もしていないという誤解が生じる。
見取りにも4段階あります。教材、指導法、学習者、学習者集団。研究会の会話を分析すると、殆どは教材、指導法レベル。一部学習者が入ります。しかし、学習者集団レベルを語れるのは郡市で数人。その見取りを『学び合い』ではしています。全て実証的データによって構築しました。
研究会で、一つの班に張り付いてメモをとっている人がいます。しかし、それでは学習者の見取りは出来ますが、学習者集団の見取りは出来ません。教室全体を俯瞰し、ツボが生じた兆候を看取って、そのツボにあった行動をする。そのツボがいつ、どこで生じるか分からない。だから全体を俯瞰する。
多くの教師は、「その子」を動かすための見取り、行動をします。しかし、『学び合い』では、集団全体を動かせるツボとなる「その子」を見いだす見取りと行動をします。両者は全然違います。だから、従来型の授業者で、それが出来るのは本当にまれなのです。
ということは本を読まないと分からない。