お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2019-05-26

[]宿題 21:32 宿題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宿題 - 西川純のメモ 宿題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 宿題を出さない、ということだったら『学び合い』の実践者だったら実践している人は多い。それも二十年前から。

 勉強の出来る2割の子どもにとって、宿題は楽です。ちゃちゃちゃで終わります。いや、邪魔と言えます。彼らにとって成績中の下に合わせた宿題は時間の無駄です。

 そもそも宿題をしない成績下位の子どもにとって、どうでもいいことです。

 中間層の6割の子どもは宿題をします。でも、その子たちがやるべきことと宿題はフィットする訳ありません。一人一人違いますから。考えてください。大学受験、高校受験の受験勉強を担任が指定したら、どうですか?

 『学び合い』では宿題は出しません。その代わりに全員達成が宿題なのです。だから、成績上位の2割の子どもが頭を使う。宿題をやらない子どもは、教師に嫌われても怒られても気にしません。しかし、一緒に勉強しようよ、という同級生の声を無視できない。

 ようは、保護者が納得できる、実績を上げるかどうかです。

 ようは、それを子どもに率直に求められるか、否かです。

[]群馬の会 21:20 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 5月30日に群馬の高崎市で『学び合い』の会が開かれます。お指しします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20190526

[]仕切り 21:13 仕切り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕切り - 西川純のメモ 仕切り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 能力もないのに仕切りたがる人はいます。同僚だったら、滑稽ですが、上司ならば迷惑です。

 分からないなら、任せればいいのに。

 個人だったら、話は簡単。組織だったら難しい。

 主張している根拠を実証的なデータで保証できるのですか?

 と、問いたい。

[]説明責任 19:27 説明責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説明責任 - 西川純のメモ 説明責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 麹町中学校で宿題、担任、定期テストをやめたことにクローズアップされています。しかし、これは日本中の校長が明日からでも出来ることです。なんとなれば、教育基本法、学校教育法、同施行令、同施行規則のどこにも、それがなければならないと定められていません。おそらく都道府県レベルの教育委員会は法規をちゃんと読んでいるので、「だいじょうぶですか?」レベルのことはいったかもしれませんが、それ以上のことは言わないでしょう。一方、市区町村レベルの教育委員会は法規をちゃんと読んでいない人もいます。そのような人は強硬に反対するでしょう。しかし、教育委員会には指導助言の権限がありますが、法規に反しない限り命令することは出来ません。

 麹町中学校の凄いところは、工藤校長がちゃんと法規を読んでおり、教育委員会や保護者からの問い合わせに対して、ちゃんと説明した点だと思います。

 ちなみに、『学び合い』の実践者の中には一人で担当するクラス全部を体育館に集め、一気に授業することをします。結果として持ち時間を4分の1にすることを実現しています。ものすごい、働き方改革です。

 これは法規に反するのではないかと心配する管理職がいます。法規を読んでいないとそうなります。法規で定められているのは、子どもの数に基づいて教員数を算出することです。その教員数でどのような時間割を実現するかは校長の専権事項なのです。そもそも、教育法規にはクラス、学級の明確な定義なんてないのです。つまり、30人学級とは、30人以下にすることを定めたものではないのです。30人以下にすることが可能な教員数を保証すると言うことです。その運用は自由なのです。

 私がお仕えした学長からおしえてもらった言葉に、「偉くなる人は、人の話をしっかり聞いて、無視できる人」という言葉があります。自分の考えがはっきりしており、理論的な自信があれば、反対者の意見を冷静に聞けます。理論的な自信がないと、説明できなくなり、そのため感情的な反論になってしまいます。また、理論的な自信がなければ、人の話をよく聞くと自分の考えがぶれてしまいます。

 改革をしようとする管理職、いや、教諭も自らの考えに理論を持つ必要があると思います。その理論をあらゆる場面で徹底します。しかし、常識にとらわれると改善のレベルを超えることは出来ません。

[]改革 18:28 改革 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 改革 - 西川純のメモ 改革 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 経営戦略論で有名なマイケル・ポーターは「事業が成功するためには低価格戦略か差別化(高付加価値)戦略のいずれかを選択する必要がある」と述べている。平たい言葉に直せば、「他社との競争に勝つには値段を安くするか、高機能にするかしかない」ということです。当たり前と言えば、当たり前です。しかし、そうだとすれば、低価格にするためには、機能を下げたり、捨てたりしなければなりません。

 ところがキム・チャンのブルー・オーシャン戦略、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションは、機能を下げたり、捨てたりすることが、高機能に繋がることを述べています。なぜかと言えば、今までの機能とは違った機能を創造するからです。

 詳細は関係書をお読み下さい。読みやすい本です。

 例えば、IBMは大型コンピュータの演算速度、記憶容量の高度化を目指しました。ところが、パソコンはその演算速度、記憶容量を捨てました。それによって驚異的な低価格を実現しました。その結果、コンピュータの個人ユーザーという市場を創造し、新たなサービスを創造したのです。IBMはパソコンをオモチャと思い、馬鹿にしました。そして、その市場の価値を気づいたときに参入しましたが、「時すでに遅し」でした。

 1000円カットも床屋での「会話」をカットし、バリカンを利用した効率の良いカットを導入しました。結果として、低価格とともに時間短縮を実現し、仕事の合間にちょっとカットするという市場を生み出しました。

 100円寿司は、寿司職人が大事にしたものを、ことごとく捨てました。寿司職人は100円寿司を寿司とは認めないでしょう。しかし、それによって低価格を実現し、江戸時代の寿司のように安価なファストフードとしての寿司を再創造しました。

 既存の市場占有者が大事にしているものを捨てない限り、価格と機能の両立は不可能なのです。ま、当たり前のことです。その大事にしているものを低価格かつ高機能にする努力は積み上げられています。収穫逓減の法則より、どんなに努力しても効果が薄いものになります。

 ヘルバルトが一斉指導の理論として「一般教育学」を表したのは1806年です。我が国の学制発布は1872年です。それから現在の教育に対して膨大な人数の研究者と実践者が改良を加えています。先に述べた収穫逓減の法則から言って効果は薄い。しかし、大事にしているものを捨てられないので低価格と高機能の矛盾は解消される、それを教師個人に押しつけているのが現状なのです。

 しかし、仕方がない。今の市場占有者は、今の顧客に責任を負っている。今の顧客は、今の製品を求めているのです。つまり、「教師が数十人の子どもに対して板書し発問する」を求めています。だから、それに応えなければならないのです。だから、クリステンセンの述べているように、文部科学省、都道府県教育委員会は「絶対」に改革は出来ません。出来るのは改善だけです。しかし、収穫逓減の法則から改善の効果は期待出来ず、その矛盾を教師個人に押しつけるしかないのです。

 従って、文部科学省、都道府県教育委員会に期待することは辞めましょう。それは魚屋に行って「米下さい」と言っているようなものです。期待すべきは個人、また、個人の集団なのです。個人が様々な試みをして成功し、失敗するでしょう。成功した個人が繋がり合い、その智恵を共有し、組織化します。それによって新たな市場が生み出されます。

 私は楽観的に考えています。一定以上の市場が生み出されれば、行政はそれをサポートします。行政は次の世界を生み出すことは出来ません。予想することも出来ません。生み出すのは個人の生み出す試みです。それらが生物進化と同じように、生存競争の中で生み出されます。

[]改革の見極め方 14:17 改革の見極め方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 改革の見極め方 - 西川純のメモ 改革の見極め方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 変革の時代、様々な改革が生まれます。どの改革が次の時代に繋がるかは分かりません。しかし、繋がらないことは確実であることを見極めることは可能です。

 第一に、「○○します」という改革は、100%改悪です。たとえ「○○」がもっともらしくてもです。理由は簡単です。今の学校はアップアップ状態です。それに何を付け加えたとしても、機能するほど加えられないし、それを加えられたことによって、従前のものも不十分になります。だから、「プログラミング教育」、「小学校英語」のいずれもが改悪です。

 もちろん、「○○を廃止し、その代わりに○○します」ならOKです。しかし、今までのは常に「現場の智恵と裁量でなんとかしなさい」というものばかりです。

 第二は、授業でもっとも大事にしているものを捨てていないならば、改良であっても改革ではありません。そして、改良をどれほど積み上げても、改革につながりません。クリステンセンやチャン・キムが述べているように、本当の改革は、従前の市場占有者が後生大事にしていることを捨てることによって、価値を生み出します。

 言うまでもなく、学校の根幹は授業です。改革を謳っているならば、その授業を見れば良い。見たとき、「え!?これで大丈夫ですか?」と問われる授業をしていて、問われたとき、その理由を述べられるならば改革です。もし、授業を見たとき市場占有者が「???」と思わなければ、他の部分で{???}を感じたとしても、それは改良です。

 つまり、見極め方は簡単です。何を捨てているかを見れば良い。それが授業の何かであれば改革です。この視点で、様々な提言、報告書を読んで下さい。「○○します」のオンパレードで、その多くは授業のツールレベルに留まっています。