■ [大事なこと]予防
この記事(https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20190602-00128440/?fbclid=IwAR3njO85nt6kEDASBtsdLQlrLcn63ScrNRd_wU5AJsQrtwf8JnLpf71Lqrc)を読んで、それを視聴したいと思った。人が本気で何かを語るとき、それは聞くに値するものがある。
が、違うと思う。
何かが起こった後で、どうするかという論より、それが起こらないようにするには何が必要なのか、だ。この事件も、農業水産省次官の事件も、もし、繋がっている人がいたならば、と思う。
特別支援の必要な子どもは、学校教育にいるあいだは手厚い。が、卒業した後は「自己責任」の世界。だから、学校教育のうちに「自己責任」に対応できるようにしなければならない。それは全ての子どもが同じ。それは今回の事例と同じ。
私たちの本(https://amzn.to/2WI2Cba)で、色々な事例を紹介しました。
ある知的障害の子どもがいました。キティちゃんが大好きです。キティちゃんを卒業する年齢になっても卒業できません。しかし、小学校の時の友達が「おかしいよ」と言ったら、その途端に卒業しました。おねしょを卒業するのは「お泊まり保育」ではないでしょうか?子どもは親に対しては子どもですが、仲間に対しては大人になろうとします。
あ~、自分がすべきことの重さを感じます。私にとっては当然なことを、一般化する責務。
■ [大事なこと]燃えるもの
研究者として学術論文を書きまくった。それによって多くの学会から賞をいただいた。しかし、今は論文を書きたいという渇望は低くなっている(もちろん、書いていますよ。いまでも)。理由は、あまりにも先に進みすぎていて、そこに書かれていることが現実社会に反映されるまでの乖離が激しすぎるのです。
そこで情熱を傾けたのは書籍です。学術研究で明らかになったことを、一般の教師の方々に理解していただき、実践していただくための本を書きまくりました。しかし、今は本を書きたいという渇望は低くなっています(もちろん、書いていますよ。いまでも)。理由は、多くの先生方が求めるようなレベルのことに対応する本はほぼ揃いました。私の書きたい本はありますが、それを求める人は多くはなく、書籍として成立しないと思えるからです(でも、2030年教師の仕事はこう変わる https://amzn.to/2Z0mq7h が売れたのはビックリしましたが)。
あとは、『学び合い』を実践する人が閾値を超えることを待つことです。もちろん、クリステンセンやムーアの戦略のように、小規模な市場で市場占有者になることが、パンデミックを早く起こす道であることは理解しているのですが、その市場は何なのかは分かりません。色々な方がやってみて結果が出るのを待っています。
ということで、今の私は「待ち」の状態です。しかし、攻め続けて三十年以上過ごした私にとって「待ち」は辛いものです。
■ [大事なこと]捨てる
ゼミ生のブログ(https://kohdai-0321.hatenablog.jp/entry/2019/06/01/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%80%82)を読んで感じたこと。それは私が大学院で最初の論文書いてから、常にこのゼミ生と同じだったということです。
私の好きな言葉に、ドラッカーの「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。」という言葉です。化学企業として長く生き残っているデュポンの戦略を述べたものです。デュポンは1938年にナイロンを世に出したとき、直ちに、これと競争できる新しい合成繊維の研究を始めたのです。ナイロンの良さと同時に限界を一番知っているのは開発したデュポンです。だから、デュポンがその改良をし続ける限り、他社が追いつくことは難しいのです。
西川ゼミで『学び合い』の原型となる最初の研究を手がけたのは1999年度です。そして、書籍として表したのは2000年です。それ以降、常に過去の『学び合い』を陳腐化してきました。(その過程は『学び合い』の手引き・ルーツ&考え方編に書いてあります https://amzn.to/2YXRDrA)
2000年当時の『学び合い』のテクニックを我々は使いません。その当時の『学び合い』は一般人には理解しやすい形ですが、子ども達を信じ切っていなかった。また、『学び合い』の子ども観を学校観の上位に捉えていた。今は違います。学校観さえ分かっていれば、全てのテクニックを捨てても『学び合い』は成立することを知っています。
一人も見捨てない教育と社会の構築という願いは不動です。しかし、テクニックや理論は爆走しています。『学び合い』を実践する方々もどん引きするようなヴィジョンを持ち、それを理解されるように整理しています。私は研究者です。フロントランナーでいてなんぼのものです。その座を簡単に明け渡すつもりはありません。
だから、過去の『学び合い』のテクニック、そして理論すらも捨てて、それらを陳腐化し続けています。過去の『学び合い』は私にとって「な~んちゃって『学び合い』」なのです。