■ [大事なこと]イライラ
本日は晩酌を多めに飲んだのかもしれません。だから、書きたくなりました。
私や『学び合い』に対していろいろ書かれる方に対して。
第一に、軽く人を否定するな。学術の世界では、他の人の論文を否定する場合、当該の論文を熟読し、それに関わる論文を全部読んで、ここは違うと思うところをエビデンスによって否定します。そして、その著者の否定ではなく、その論文の否定です。
実践の世界のいやなところは、何も読みもせず、伝聞のレベルで、その人の書いたことではなく、その人を否定する点です。匿名性の高いSNSではそれが助長されます。
第二に、『学び合い』は面白い授業、わかりやすい授業を目指していません。慌てて補足しますが、普通の教師が30人の子どもに教えている授業よりは、相対的に面白い授業だし、わかりやすい授業です。でも、今の授業に決定的にかけているのは、その授業で子どもが50歳、60歳、70歳の幸せを保証するという意識がない。
小学校の先生は中学生にすること、中学校の先生は高校生にすること、高校の先生は就職したり大学に進学することが自分の職務だと思っています。私の考えている子どもが50歳、60歳、70歳の幸せを保証するクレージーでしょうね。私はそれを願っています。その結果として、小中高の教育が子どもの幸せを決めることを確信しています。
という私に、面白い授業、わかりやすい授業レベルでとやかく言われると脱力します。そして、その人が教えている子どもの老後を憂います。
■ [映画]ドリーム
遅ればせながら「ドリーム」を見ました。よかった。
「モリーズ・ゲーム」、「女神の見えざる手」、「フライドグリーントマト」、「ドライビング Miss デイジー」も、いずれも女性が誇り高く生きている映画を見ると、スカッとなります。
■ [お誘い]歓迎します
『学び合い』や西川研究室に興味を持って上越に来られる方は多いです。西川研究室では歓迎します。金のない貧乏学生さんだったら、マットレスと寝袋を貸しますので、大学の一室で寝ることも可能ですよ。
■ [大事なこと]規格化
工業社会のコードに規格化があります。みんな同じにすべきだという考え方です。これがあると、学校にスマホを持ち込んでもいい、となると直ぐに全ての子どもにスマホを持たすべきだと思ってしまうのです。
子どものやったことを学校が責任をとるべきだという考えがあります。私は馬鹿げたことだと思います。もちろん、学校が強いたこと、教師が強いたことから生ずることの責任はあるかもしれません。しかし、子どもや保護者が選んだことにまで責任が生じるわけありません。
例えばです。ある保護者が高級ブランドの服を着せて登校したとします。そうしたら、全ての子どもに高級ブランドの服を学校が用意すべきですか?
その服を別な子どもが壊したとします。その弁償を学校がすべきですか?保護者同士で交渉すればいいのです。
スマホを使って勉強することを強いたならば、その責任の一端は学校にあるでしょう。しかし、強いているのではなく、気にしていないだけなのです。
スマホを持ちこむことで注意すべきは、それによって悪しきヒエラルキーが生じないようにすることです。『学び合い』だったら、複数の子どもが一つの情報機器を見ながら話し合って問題を解決するので、問題が生じません。