■ [大事なこと]官僚
私の書き込みを読んでいる文部科学省の官僚はいると思います。多くは無いけど。きっと苦々しく思っている人はフォローしない。でも、一部は「そうだよな」と思う人はいる。それが大事。その人たちは、今は発言力は無いかもしれない。でも、崩壊後は、その人たちがことを動かす。
見物は、学校教育が人材養成に意味あると教育産業界に納得してもらえるか、です。別な言い方で言えば、非正規雇用が少なくなることです。
文部科学省の当事者、苦々しく思っている人もいますが、それは健全です。ようは、崩壊後に、うまくフォローできる体制を夢想してください。
■ [大事なこと]Know-Why
現在の入試改革は平成26年12月の中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」に端を発しています。現在の迷走を見ていると、文部科学省がこの答申を理解していなかった、いや、理解したくなかったことが明らかです。
答申を是非お読み下さい。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1354191.htm)
そこには大学入試を含む評価において公平から公正にシフトすべきであることを何度も、何度も強調しています。その中で『グローバル化の進展の中で、言語や文化が異なる人々と主体的に協働していくためには、国際共通語である英語の能力を、真に使える形で身に付けることが必要であり、単に受け身で「読むこと」「聞くこと」ができるというだけではなく、積極的に英語の技能を活用し、主体的に考えを表現することができるよう、「書くこと」「話すこと」も含めた四技能を総合的に育成・評価することが重要である。』と書かれています。
現在のセンター入試と民間検定のどちらの方が4技能を公正に評価できますか?これは自明です。おそらく100年たっても海外の大学はセンター入試の英語の試験の点数を入学資格に取り入れることはないでしょう。
今回、民間検定試験の利用を反対する人達の議論は、全て「公平」を基にしています。一つもセンター入試の方が民間検定試験より公正に4技能を測定できるという意見はありませんでした。
では答申では公平を無視していいと書いてあるかと言えば、もちろん、そんなことはありません。公正を書いてあるところには常に「多様」を対にしています。求められる能力に多様性を認めれば、一律の公平はあり得ないのです。
例えばラーメンには好みがあります。醤油味、味噌味、塩味、魚介系、豚骨系、鶏ガラ系、あっさり系、こってり系・・・・、では、美味しいラーメンを公平に評価する方法があると思いますか?仮に、鶏ガラ、醤油味、あっさり系が好きな人が一番多いから、それが一番でしょうか?私はそう思いません。
つまり、現在のセンター入試形式の試験も「あり」、民間の様々な検定も「あり」、また、英語を課さない入試も「あり」であるべきなのです。それが先の答申のKnow-Whyを理解した素直な解釈だと私は思います。
公平のクレームに対して、文部科学省が押し切られたのは答申のKnow-Whyを理解していなかった。理由は工業化社会の組織は規格化を捨てられなかったのです。だから、私が文部科学省の担当者だったら、「各大学がどのような試験の点数を利用するかは、各大学のアドミッションポリシーに基づいて判断するかです。受験生は各大学のアドミッションポリシー、それに基づく試験に基づいて、どの大学を受験するかを判断して欲しいと思います。」と言えば良かった。これだったら「身の丈に合った」というような発言のような陳謝は必要なかったと思います。
そして、文部科学省の一室で各大学の管理職に対して、「4技能を適格に測れる多様な方法を提案するように」と求め、センター入試だけを使う大学に対して、「それでは今までと同じですね」と言って突っ返せば、民間検定試験を使うようになります。
ところが、1年間で公平を求める受験生・教師が安心できる方法を考えると文部科学省は表明しました。1年間で何が出来ますか?つまり、答申を反故にしてセンター入試に回帰するか(ま、髪の毛3本ぐらい増やすかもしれませんが)、働き方改革に反して教員の仕事を増やすか、いずれかしか出来ません。