■ [大事なこと]幸不幸
以前、聞いたことです。
つまり、収入で幸不幸が決まるのではなく、己が望んでいることと、実態との関係だと言うことです。
これまでは多くを望み、そのためにもがきました。でも、ソフトランディングして、フェードアウトすることを考えなければ。ただし、フェードアウトした後でも「家族仲良く健康で」をなりたつようにする準備をしなければ。
■ [大事なこと]国際化
英語教育重視の流れに対して私は懐疑的です。その理由を説明します。
これは2013年に書いたことの一部です(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20130414)。
『プラトン研究の第一人者である田中美知太郎が、ある人からプラトンを学ぶためにはギリシャ語を学ぶべきか?と問われました。ギリシャ語、それも古いギリシャ語まで堪能な田中はそれを勧めませんでした。彼は、一つの言葉を学ぶには一生かかることだから、それ自体が主目的でない限り、それはすべきではないと言ったのです。当然のことです。人間に与えられた時間も能力も有限です。あることに費やせば、その他のものがおろそかになります。全ての人が英会話が堪能な人になるためには、商品開発がおろそかになります。もちろん、そもそも商品開発はせずに、他国から商品を扱うだけの会社だったら大丈夫でしょう。でも、その商品を日本で売りさばくとしたら、相手は日本人です。だったら、英語に堪能な人より、津軽弁や茨城弁に堪能な人の方が良いのかも知れません。
1) もともと文字の言葉を持たないか、また、部族語との言語が乱立しているかで、英語以外の統一の言語を持てなかった国。
2) 国内の学術・技術が未成熟で、海外の文献しか学べない国。
3) 国内経済が脆弱で、国民の殆どが海外との取引を直接行わなければならない国。具体的に言えば、外国人相手に路上でものを売る人があふれているような国です。
何度も書きましたが、工場をモデルとしている工業化社会のコードは分業化です。一方、脱工業化社会のコードは総合化です。これから言えば、英語も出来る人が有利だと思います。が、それは個人を単位に考えればです。能力を集団のレベルに考えれば違います。一人一人がとんがって、英語に堪能の人とつながればいいのです。
もう一つあります。
私は日本中の教師とつながっています。私の業績のかなりの部分はその方々の協力によって成り立っています。しかし、私からその方々につながろうとしたことはありません。例えば、フェイスブックに関して、私から友達申請をしたのは、私の記憶の中で一人だけです。その方に関しては、私のゼミOBから強く求められたのでしたのです。基本的に、私は申請があった人とつながっています。その他の関係も、すべて同じです。私から求めたことはありません。でも、私は最も多くの現場教師とつながっている大学教師だと思っています。ようは、多くの人から価値あるものと思われるものを発信するならば、私に合わせてコミュニケーションをしてくれます。
追申 AIが発達する今後の社会において、海外の人との繋がりで大事なのは語学とは思いません。人として信頼されることだと思います。結局、日本人同士と同じなのです。
追申2 日本の企業、大学が地盤沈下する中、海外に活路を見いだす人材にとって英語は必須アイテムであると思います。ただし、私の思考は常に「一人も見捨てず」です。私の思考の対象は大多数の日本人です。