■ [大事なこと]働き方改革
教師がブラック残業から賢く身を守る方法(https://amzn.to/2Y8urb6)に書きましたが、ようは早く帰ればいいのです。法的には何ら問題はないし、誰も強いられないのです。繰り返しますが、ようは早く帰ればいいだけのことです。https://note.com/kawahii/n/n25757b9672b8?fbclid=IwAR2xrlYhb0C-Z1RA6nPTT9asnSF_EjzpVffEeKcszR6vI34G4Bg5XmxcTWg
■ [お誘い]越後『学び合い』の会
2011年に3つの観を整理して(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20110403/1301787725)、2012年に『学び合い』を新たに再定義しました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20120202)。その中で授業観の重要性は私の中で低下しています。2014年以降は授業観に関して発信していません。
授業観とは「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきだ」というものです。今の私は目標の設定も、評価も、環境の整備も子どもが出来ると思っています。だから、発信していません。
何故、そう思っているかと言えば、西川ゼミではそれが成り立っており、その姿を日々楽しんでいるからです。
本日の午後、越後『学び合い』の会が上越教育大学で開かれます。ただし、私は講演をしますが主催者ではありません。主催者はゼミ生です。私はギャラを出すことを求めましたが、拒否されました。あはははは
私はゼミの目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」と定めました。ま、簡単に言えば、「日本を変えろ」という漠然としたものです。ゼミ生は一人一人が様々な目標を定め、評価し、環境の整備をしています。ゼミとしては様々な活動をしていますが、その一つが越後『学び合い』の会の開催です。ゼミで具体的な目標を設定し、ゼミで評価し、ゼミで環境の整備をしています。その途中過程に私は一切関わらないし、知りません。
そもそも教育は子どもを大人にすることです。大人にするには、大人として扱うべきです。大人が自ら目標設定し、評価し、環境の整備をするべきなのですから、西川ゼミの姿は当然の帰結です。
是非、『学び合い』の最先端の姿を、自慢のゼミ生の姿を通してご覧下さい。
追伸 教師としてすべきことの最終的に残ることは、学校観、子ども観、願いに一致する生きざまを見せることだと思います。つまり、言っていることとやっていることが一致していることを見せることです。そして、相談事があったとき、年長者として耳を傾けることだと思います。なんて、シンプルなんだろう。