■ [う~ん]何を書いているのか分からない
妹尾さんが今回の給特法の改訂に関して詳細に説明されています。非常に正確な記載だと思います。が、全体を読んで「だから何?」と思います。(ごめんなさい)ものすごく短くまとめれば、「文部科学省が何を決めても、結局は決めるのは都道府県教育委員会です。そして変わらないでしょう。」と言いたいのだろうか?と思ってしまいます。分かる方、短く、教えてください。
もし、ガイドラインを文部科学省が出すことによって都道府県教育委員会が影響されるならば、もう一回、「超勤4項目を守ってください」と通達すればいいだけのことで事足りるのに。
追申 妹尾さんが誠実にこの問題に向き合っているし、人柄自体も誠実な方だと分かっているだけに、こんな個人特定される記事を書くことが心苦しい。ここで書いているのは、この記事に関してであって、妹尾さんに対して出ないことを明記します。
■ [う~ん]無用の長物
なんか行政の方が苦労して実現したことに関して、いちいちダメ出ししている自分がなんとなく情けなくなるのですが、書きます。
一人一台のコンピュータ導入の他に、有線・無線の構内情報通信網(LAN)の整備も進めるそうです。しかし、「構内」なのです。
はたして構内専用のLANを整備して何をするのでしょうか?
わかりやすく表現します。職員室内限定のLANを構築して、なんかいいことありますか?簡単な連絡だったら席を立って、相談すればいいだけのことです。ファイルのやりとりだって、月に何回必要ですか?それだけだったらUSBで十分じゃありませんか?
構内LANで子どもや教師をつなごうとするならば、学校専用のソフトのお世話になることになります。それにお金をかけなければなりません。そして、その操作方法を学んでも汎用性はない。もし、インターネットにつなげたならば、高機能で汎用性のあるサービスを無料で使えるのに。
そんなものに5000億円をかける価値があるのでしょうか?もう、ここまでいくと何で財務省がOKしたのか好奇心がわきます。
もう一度書きます。職員室限定のLANを使います?その操作方法は、そのLAN専用なんですよ。
だれか教えてください。
■ [う~ん]痛々しい
ニュースでの萩生田文部科学大臣の姿を見ていると痛々しく感じます。私だったら、「それを承知で制度設計したのに、背中から弾が来るなんて」と思っていると思います。そして文部科学省の官僚に「どうなっているんだ!」と思っているのでしょう。
何度も書きますが、「公平より公正」という今回の入試改革は「多様性」と一対なのです。ところが、工業化社会の文部科学省は脱工業化社会のコードである多様性を受け入れられなかった。
大学ごとの個別最適化が進んでいるアメリカの入試方法が参考になります。
日本におけるセンター入試に対応するSAT、ACTは大学入試センターとは違い、それ専業の非営利法人が運営しています。つまり、営利として成り立つシステムを外部からゴチャゴチャ言われないのです。
逆に言えば、記述式部分の公平性・妥当性は非営利法人が責任を持ちます。それらを利用するしないは各大学が判断します。つまり、公平性・妥当性を行政は問われないのです。
アメリカの大学の場合、共通テストは足きり程度の意味しかありません。むしろ大学ごとがアドミッションポリシーにもとづき徹底的に、その大学にとっての公正な入試を行います。
本当は公正な入試を実現しようとするならば、各大学ごとに個性的で多様な入試方法を実現すべきなのです。ところが、文部科学省はそれを認められない。ここでも公正であるより、公平であることを各大学に求めます。
ようは丸抱えするという考えを捨てるべきなのです。ま、出来ないでしょうね。
■ [大事なこと]安心して受験できる
ニュースを見ていると、みんなが「受験生が安心して受験できる公平な入試」という言葉を発します。気持ちはわかりますが、苦笑します。
例えば、トヨタの入社試験の受験生が「受験生が安心して受験できる公平な入試」を求めたらどう思いますか?さらに、それに対して行政が口出ししたらどう思いますか?噴飯物ですよね。
どこが違うか、大学入試は受験生の都合で考えているのです。企業の採用試験は当然、その企業の都合なのです。
アメリカの大学の入試では、企業と同じに、自分たちにとって都合の良い人を採用するのです。
この考え方が日本とアメリカとの大きな違いです。公正な入試を実現しようとするならば、この意識改革が大事なのです。公正な大学入試においては「安心」は無縁です。大学の求めるものにどこまでもついていくのです。いやだったら、自分を求める大学を受験すればいいのです。当然、大学の序列も多次元になります。