私は「人生100年時代を生き抜く子を育てる! 個別最適化の教育」(https://amzn.to/339dwHJ)において以下のように書きました。
『ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」の中に「努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。強みに集中すべきである。無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする。しかるに、多くの人達、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命になっている。資源にしても、時間にしても、強みをもとに、スターを生むために使うべきである。」とあります。この言葉は、不登校、特別支援、ギフテッドの子どもを救う道を示すものだと思います。』
このことを書いた本があります。「ニューロダイバーシティと発達障害: 『天才はなぜ生まれるか』再考」(https://amzn.to/2v6L4JZ)です。多くの天才を紹介し、その人達が発達障害であり、それ故に偉大な業績を上げたことを紹介しています。その最後の部分を長いですが引用します。
『能力の低い側面を「鍛える」という発想では、限界がある。「できない」ことを「できる」ようにトレーニングする考え方から脱皮して、できなくとも、それがほかの「できる」側面の実践の支障にならないように配慮することが、大切なのかもしれない。端では「できる」ことが「できない」というのは、ほかの「できる」ことをする木にをなくさせることが大石、ましてそれを「できる」ようにトレーニングするのは、決して当人にとって愉快な体験とはならない。ついつい、くじけてしまいがちになる。むしろできないことをスルーして、「それでも、ほかにこんなにできることがある」と、障害があることは、ユニークな人間になれるチャンスなのだと実感することで、障害を代償している能力の発見を導くことこそ、障害の支援として真に求められていることを、ニューロダイバーシティの考え方は示唆している。そして、「できる」ことが伸びていく中で初めて、「できない」ことも「できる」ようになろうとする意欲もまた、培われていくのではないだろうか。』
多くの教師・保護者が読んで、基礎的・基本的学力の保証という幻想が、どれほど罪深いかを自覚して欲しい。そして、障害のある子どもを「可哀想な子」ではなく「ユニークな子」と素直に見られるようになって欲しい。
健常者というのは幻想です。我々は全て、特別な支援を必要な人です。