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私の失敗

 大学で生物学を学び始めると、化学の知識が必要であることが痛感しました。そこで、化学の本を読み始めると、物理学の知識が必要であることが分かりました。ところが、ある程度学んでいくと、それらを理解するためには数学の知識が必要であることが分かりました。そこで、解析学、線形代数学の本を読み始めました。20歳そこそこの学生の自習ですから、たいしたレベルではありませんが、厳密な論理を積み上げていく数学の虜(とりこ)になりました。さらに、解析学、線形代数学を理解するために、位相空間論、集合論の本を読み始めました。一層抽象的な内容は、私を別世界に連れて行ってくれます。そんなこんなで、生物学を専攻している学生にも関わらず、読んでいる本の殆どは数学と物理学という状態になってしまいました。

 学年があがり、何を研究しようかと考え初めて、気づきました。それは、自分が今知っている数学と物理学の知識と、研究しようとする生物との間にギャップが多すぎで、直接利用できないことに気づき始めました。もちろん、数学や物理学の手法をそのまま使い、対象として「生物」を研究する分野もあります。当時読んだ本の中には、代数学の群論や位相幾何学のカタストロフィ理論に基づき、発生学を研究しようとするものがありました。しかし、何かが違うなと感じていました。簡単に言えば、「生物を研究したい」というより、「数学や物理を生かした研究をしたい」という本末転倒なものを感じました。なによりも、「使えるかもしれない可能性」は長々書いているんですが、実際に使えたという実例が無いんです。

 大学3年の最後に、伊豆の下田で臨海実習がありました。そこで、数日間徹夜して、ウニの卵がどのように変化するかを観察しました。ウニの発生に関しては、発生学の本で知っていました。ところが、実物の卵の美しさ、神秘は愕然とさせました。それを数日見る内に、私の心の中にあった「数学」、「物理学」に対する「生物学」への劣等感が消えてしまいました。そして、「何故、数学や物理学の本を読むのではなく、生物自体を直接観察し、生物学の本を読まなかったのか?」と自分の失敗に、遅ればせながら気づきました。

 基礎を学ぶことは間違いではなかったと思います。しかし、研究したいことは何かということを忘れてはいけないと思います。それを忘れて、基礎を学ぶこと自体を目的とした場合、際限がありません。人間の能力と時間には限りがありますから、基礎を学ぶとしても、立脚点より一段階だけ基礎を学ぶにとどめるのが妥当なのではないでしょうか?それも、「どう使えるか」に着目し、多くの部分はブラックボックスにすればいいと思います。