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一人も見捨てない

 私が「潰す」という言葉を使った記事を書きました。「一人も見捨てない」『学び合い』と矛盾するのではないかというメッセージをいただきました。ちゃんと説明します。

 「一人も見捨てない」という言葉は重層的で、深い言葉なのです。

 最も表層は「一人も見捨てない」ことは正しいことだという意味です。『学び合い』の最初の語りでは、このあたりの意味で語ります。一般の学校は正しいことをしなさいレベルの指導をしているので、子どもたちに理解しやすい(それ以上に教師に理解しやすい)からです。

 最初はこのレベルでも集団は成り立ちます。最初は、仲のいい人同士で教え合います。だから、楽しい。つまり、正しいことと楽しいことが一致するからです。しかし、このレベルは直ぐに行き詰まります。

 能力的に低い子どもがいた場合、算数・数学、体育では全員達成は難しく、多くの場合は不可能です。どうやっても全員達成が出来ないとき、「一人も見捨てない」ことより「一人も見捨てないことを諦めない」ことの方が大事であることを子どもに語る必要があります。当然、教師もそれを理解しなければならないのです。

 しかし、これも行き詰まります。なぜなら全員達成を実現するには、仲の良くない人、苦手な人に関わる必要があるからです。仲にはサイコパスの子どもがいます。これは本当にしんどいことです。これを乗り越えるには一人の子どもが一人の子どもをサポートするのではなく、複数の子どもがチームになって一人の子どもをサポートすることが必要です。子どもに対して頭を使って戦略的に行動することを求めなければなりません。

 しかし、それでも駄目な場合があります。

 二十年以上前に班が崩壊する過程を分析したことがあります。

 班の中には相対的に能力の低い子どもがいます。その子のサポートを能力の高い子がします。しかし、1ヶ月ぐらいしか続かないのです。「なんで私が」と思うようになり、やがてやんわりと、そしてハッキリとした非難・攻撃をし始めます。その結果、能力の低い子はこの班を出て、別の班に移動するのです。結果として、能力の高いこと、能力の中位の子が残るのですが、その中位の子が班を離れます。何故なら能力の高い子がどのような攻撃をしているかを見ていたのです。次は自分に向けられることを恐れたのです。(注)

 私はゼミ生にこの研究を必ず読ませます。

 私のゼミにある学生が所属しました。私は35年教師をやっています。その中には暴走族も、境界児もいました。しかし、その子は異次元の大変な子どもです。言動から見てサイコパスと思われます。私のゼミ生は必死になってその子を支えます。しかし、どうやっても駄目です。私はその子をゼミから別のゼミに異動させようとしました。しかし、ゼミ生たちは「我々は一人も見捨てないゼミだから、それは嫌だ」と言うのです。しかし、ゼミ生たちは疲弊しているのが分かります。そこで、伝家の宝刀を抜いて、私の判断で異動させました。

 ゼミ生も、実は私も、ゼミが崩壊することを恐れました。しかし、崩壊しません。何故なら、ゼミ生たちは自分たちが一人も見捨てないためで全力を尽くしたことを、互いに知っているからです。つまり、安易に見捨てるのではなく、全力を尽くした上で関わりを縮小するのは、ありなのです。それが自分にとって得なのです。

 しかし、関わりを絶てず、攻撃をし続ける人がいたとします。「誰かが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」といえるのは神だからです。凡夫には出来ません。

 どうするか、反撃をするのです。ただし、二つのことが大事です。大義が必要です。その反撃が多くの人のためであることが必要です。大義があれば、一緒になって戦ってくれる人が生まれます。第二に、反撃するのは行動であって人ではありません。つまり、攻撃が止まったならば、それ以上に人を攻撃することはしません。そして、利害が一致するならば、協同します。この戦略はアクセルロッドの「しっぺ返し」という戦術に近いものがあります。人工知能のシミュレーションで最高の成果を上げたのが「しっぺ返し」なのです(https://amzn.to/2UkUlrA)。

 反撃していることは相手に分からせては駄目です。しかし、一緒になって戦ってくれる人はそれを見ています。その人に見捨てられる下品な戦いをすることは、「損」なのです。

 以上、全て正しい/正しくないではなく、損得勘定なのです。何故なら、自分の利害に一致しない行動は続きません。我々のDNAには、生存競争での損得勘定で生き残った戦略が組み込まれています。そして、その損得勘定を洗練されたものが道徳だと思います。

 私のゼミの目標は「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」です。我々の目指す社会とは、みんなが一人も見捨てないことは正しいと理解している社会ではありません。

 2割は「一人も見捨てないなんて無理」と思い、2割が「一人も見捨てないことは自分に得だ」と思う社会です。そして、6割は後者の2割のリードに従う方が自分にとって得だと思う社会です。

注 ちなみに、最後まで崩壊しない班は、能力の高い子が最後まで能力の低い子をサポートし続けたのです。こう書くと能力の高い子の性格の問題のようですね。違います。集団の構造の問題なのです(https://amzn.to/2JuLRIx