私は吠えまくっています。それを心配している人もいます。でも、私は冷静に分析し、行動しています。つねにセオリー通りなのです。でも、現実の問題に直面している方には、「そんなの無理」と思うでしょうね。その通りです。私の吠えていることを受け入れられる人は少ない、それは理解しています。
多くの教師が全体を動かそうと思っているのに対して、『学び合い』は常に集団を考えます。例えば、多くの教師はクラスの大多数の子どもに分かるようにと思います。しかし、そんなの無理、と思うのが『学び合い』です。その代わりに、2割弱の子どもが納得すれば全体が動くと思っています。
今回のコロナ禍において私が何を考えているかを整理し、述べます。
まず、私が何を吠えても大勢は変わりません。とにかく元に戻そうとする人たちの呪縛は変わりません。だから、真夏に子どもが汗をだらだら流している中で授業を続けるでしょう、真冬の極寒の中で授業時数を確保しようと窓を開けながら授業をし続けるでしょう。
でも、教師は我慢できても子どもは我慢できますか?
私が予測できないのは、その段階になったとき文部科学省、都道府県教育委員会がどんな通達を出すかです。一つは、熱中症、低温症で倒れ、死ぬ子どもが出るまで突き進むか、それともその手前で換気の条件緩和をするかです。願わくば後者であって欲しいですが、後者の場合は感染拡大の可能性があります。
いずれにせよ、これから1年間は後手後手の対応しか出来ないでしょう。
変われない教育村と違って保護者は上記の状態をどう思うでしょう。おそらく、今の教育を捨てます。具体的には広域通信制高校、広域通信制中学、フリースクールを選ぶでしょう。その数は2割弱だと思います。でも、そうなったら次の年度から大きな動きが現れます。つまり広域通信制が不登校の子どものための学校ではなく、クールな保護者・子どものための学校という位置づけが広がるのです。
そうなった後です。公教育は変わらざるを得ません。「と思います」
そのとき、今の段階で個別最適化の教育、オンライン教育を模索している人たちが一定数いればソフトランディングできると思っています。
そんな馬鹿げた妄想を持っています。
だから、6月に広域通信制の本を出します。7月にオンライン授業の本を出します。
日本で一番小さい大学の教師とゼミ生がソフトランディングするために色々やっています。
という未来図を頭に描いているので、SNSを流れる情報をニコニコしながら、時には笑いながら見ています。残念ながら想定済みながらがっかりもしますが。