私の考える未来社会は、「東京大学に合格する」が「吉本に入ってビックになる」と同じ意味を持つ社会。分かりづらいですよな。東京大学がトップの研究者を育成する大学だと考えてください。「東京大学を卒業してノーベル賞を受賞する」、「東京大学を卒業してフィールズ賞を受賞する」と言い換えれば、「吉本に入ってビックになる」と同じ香りをしませんか?
日本のトップ大学が、その分野のトップの人材を研究者養成する大学になったなら、研究者ではないトップの人材を養成するカリキュラムが必要なのです。わかりやすく言います。日本の官僚のキャリアーがノーベル賞・フィールズ賞を受賞するための教育を受けるべきですか?
そうなれば、東京大学を合格し、○○大学に落ちた、ということが不自然でない社会。各大学が個別最適化した3ポリシーを掲げる社会。それを受け入れる社会。
これは一例です。
多種多様なキャリアデザインがあり、そのための教育がある。そういう未来を妄想します。