あくまでも私の趣味の問題だと思って下さい。
私は一般の指導法は仕掛けが多すぎて「美しくない」と思うのです。それは仕掛けが多い『学び合い』もそうです。仕掛けとは、言葉がけや、教材教具等など様々です。
私は多様性と流動性があるところに可能性があると考えています。仕掛けをすれば一定以上の成果は保証出来ますが、しかけによって多様性と流動性が制限されます。それが美しくないのです。
ただ単なる多様性と流動性はカオスです。だから、一つの方向性を与える必要があります。それが学校観であり、子ども観です。だから、それを理解し、身体化すれば、それは集団の一部の子どもが理解し、健全な多様性と流動性を備えた集団を形成できます。
だから、私はゼミ生に対して、私の本に書いてあるようなことを一度たりとも使いません。それで何も問題ないし、だからこそ高い成果を維持しつつけています。
が、これって分かりにくい。西川ゼミの学生だって「私は君たちに対して私の本に書いているようなことしたことある?」と言うと、キョトンとした顔をして、しばらくして頷きます。ゼミ生の前では9割以上は悪戯好きのオッサンという立ち位置でいいのです。