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出発点

 私の研究の出発点は「何故、学ぶのか」です。世の中には「何故、学ぶのか」という言説は古くからあります。しかし、具体的な教科内容(例えば、振り子の等時性)を学ぶ意義を示せる「何故、学ぶのか」は皆無でした。これが問題にならなかったのは教育研究のシステム上の問題です。

 一般的な「何故、学ぶのか」は学校教育系で研究され、教科内容は教科系で研究されてきました。そして、教科系では、教科内容を学ぶべきことであることは大前提で、疑われていません。教科系の学術論文で、それを扱っている研究を私以外で見たことがありません。(あったら教えてください)

 この思いは学力的に最底辺の高校教師になって強くなりました。子どもたちは「純ちゃん、なんで物理を勉強するの?」と言います。大学院で学んだこと、学術論文を読んで学んだことを使って説明しましたが、彼らは単純な事実と論理で論破するのです。簡単に言えば、大学院で学んだことは、その教科が大好きな人は納得するけど、その教科が嫌いな人にとっては噴飯物の理屈なのです。

 その疑問を突き詰めた結果としてたどり着いたのが『学び合い』なのです。

 大教室での学部の授業の時に次のような話をします。

 「小学校の算数では多くの時間を費やして四則演算を学ぶ。何故だろう?多くの教師は買い物が出来るようになるためと言う。でも、君たちが買い物するとき計算する?しないよね?バーコードを読むだけでしょ?第一、勉強の時以外に筆算したこと、この1年間にあった?無いよね。

 計算を通して論理的思考力を育てているという人がいる。しかし、認知心理学的には誤りだよ。我々の知識・技能は高度に文脈依存的で、領域固有的だ。簡単に言えば、算数・数学で育てられる論理的思考力は、数学の問題を解くための論理的思考力であって、一般的な論理的思考力ではない。理系で生きていこうという人には必要だけど、日本人の大多数には無関係。

国語の時間に空書きして書き順を覚える。でも、書き順が重要なのは筆で書くときだよ。でもね、この1年で筆で書いたことある?あるとしたら祝儀・不祝儀の芳名帳ぐらいだと思うよ。だったら、自分の名前と住所の書き順以外を覚える必要がある?

 さて、どの教科でも良い。一つの教科を選んでください。そして、子どもに何故学ぶのかを説明し、納得させてください。私は今まで説明したような反論をします。是非、私を論破してください。」

 今までただの一人も私を論破できません。おそらく、無理でしょう。

 皆さんが教えている教科を学ぶ意義を、その教科が大嫌いな人に納得させられますか?