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未来社会

 みなさま私の中にある未来社会です。どこまでついて行けるか試して下さい。まあ、地方大学の一教師の妄想とお笑い下さい。

 

  • 人口、特に若年層が減少する。地方の市町村は、「人が中規模以上の都市に移動し消滅」か、「ネットを活用した働き方をする人を中核として生き残る」のいずれかになると思います。私は後者がやがて拡大すると思っています。そのためには小規模発電の発達、ドローンを中心とした物流の発達が鍵だと思っています。
  • 価値観が多様化して、みんなと同じことをすることが格好良くないと思うようになります。最初のきっかけは、みんなが求めているものを求めていると金がかかりまる。そのようなお金をかけられないし、もしくは、お金を稼ごうとすると自分が大事にしている生活を捨てることになることが気づき始めるのが最初です。
    例えば、サッカーファンはサッカー場に行かねばならず、そのためには時間とお金をかけねばなりません。ネットの発達によってメジャーでないスポーツも商業的になりたつようになります。他の選択肢を与えられた人が、メジャーなスポーツのファンになり続けることのトレイドオフを考えるのです。それを合理化するために、みんなと同じことをすることが格好良くないというものを選択し、やがて内在化するのです。まあ、私の時代における巨人ファンに対して、「巨人、大鵬、卵焼き」と揶揄したのと同じ理屈です。

 

 以上は私が既に経験したことです。東京生まれの東京育ちの私は、東京に住み生活するのが一番だと思っていました。しかし、今では東京に住む人の気持ちが理解出来ません(すみません)。雪は困りますが、それ以外は上越は非常に住みやすい町です。おかげさまで2万数千円で、40坪弱の宿舎に住み、ドアtoドアが最大15分の通勤時間の生活をしています。

 若い頃は、研究者としては大きくて著名な大学で研究するのがいいと思っていました。しかし、今では自分にあった大学で、自分に合ったペースで学生さん達と教育・研究をすすめていられることを幸せだと思っています。都会の大大学の先生方は、各種委員会にかり出されている。頭が下がります。とても、私には出来ないな、と思っています。幸い、私の能力を上回る教師人生、研究者人生を過ごしています。

 だから、やがて気づく人が増えることに確信があります。障害となっているのが、通勤・通学の問題ですが、現在、ネットによって解消できます。そして、今回のコロナでそれを知った人が激増したのです。

 

 ということを前提として部活を考えてみましょう。

 以上の様な社会において、各中学校、高校で安定して9人以上を確保できる野球部、11人以上を確保できるサッカー部がどれほどあるでしょうか?東洋大学の根本教授の試算によれば、今後、大都市でも小中学校の数は半分になり、島根や和歌山県などの地方では10分の1になります。つまり、通学が不可能になるのです。

 個別最適化を求める子ども・保護者のニーズと相まって、広域通信制に移行する流れが強くなる。先に述べた根本教授のシミュレーションはこの効果を考慮していないのですから、学校の数の減少はもっと凄いものになります。

 部活大好きの教師、子どもは学校で全て管理するものと思い込んでいる保護者は、部活の社会体育への移行に抵抗するでしょう。しかし、教員志望者の激減を受けて、行政も社会体育以降へ舵を切りました。ただし、落としどころは月曜日から金曜日は部活で、土日は社会体育というものでしょう。多くの人はそれが最終形だと思っているかもしれません。しかし違います。

 私の予想するものだとしたら、そもそも学校単位での部活は成り立ちません。部活大好きの教師、子どもは学校で全て管理するものと思い込んでいる保護者がどう思うかに関係なく、人数を確保できなくなるのですから。そうなった先の未来は3つあります。

 第一に、学校と無関係な社会体育です。つまり、働いている成人が土日に集まってスポーツしている集団に、中学生や高校生が参加するのです。学校と調整しなくていいのですから、社会体育も気が楽です。

 第二に、ネットを介したVRのスポーツです。おそらく、全国レベルの大会としてなりたつのはこれぐらいかもしれないと思っています。

 第三に、特定のスポーツに特化した学校が生まれる。ただし、現在の甲子園の有名校のポジションではありません。野球、サッカーに人気が集中している時代ではないので、サッカーリーグが生まれる前の静岡の高校のレベルで、知る人ぞ知るというものでしょう。

 付け加えますが、そのようなチームが多種多様なスポーツで生まれるのです。

 

 という社会において中体連、高体連、は何をするのでしょうか?

 つまり、最終的には教科としての体育以外は、学校教育から分離します。更に言えば、個別最適化が進めば、体育を学ばなくていい学校教育が生まれます。

 

追伸 たかし、けんちゃんへ。これが君たちに話したことを整理したものです。