私はゼミ生に対して、命令はしません。何故なら、アドバイザー(指導教員)に命令できる権限は無いことを知っています。私は「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」(http://bit.do/fJsMv)と語ります。まれに、具体的なことを提案することがあります。当然、「それは命令ですか?」とか「やらなければならないのですか?」と反応するゼミ生もいるでしょう。だから、私は『学び合い』のセオリー通りに語ります。
ポイントはゼミ生全体を集めます。そして、私の提案は社会にとって、ゼミにとって、個人にとって、意味あり、メリットがあることを語ります。そして、「何か質問や意見がある?」と聞きます。質問・意見がなければ、「では、ゼミとしてOKという理解でいいね?」と確認して、終わりです。そして、私はさっといなくなります。
いなくなった後、ゼミ生同士で話し合うでしょう。その時に否定的な本音が出るでしょう。でも、ゼミ生同士が語り合って乗り越えます。ゼミ生は私には甘え、我が儘を言います。しかし、ゼミ生同士ではそれがありません。
『学び合い』のセオリー通りに、上記をゼミ生にさらけ出します。何故なら、ゼミ生の2割弱のメンバーが、何をなすべきかを理解します。そして中間層のゼミ生も、『学び合い』のセオリーが合理的であることは理解しますから。
追伸 一般の人は、会議の前に反対するであろう人に対して根回しをするという方法をします。そんなの無駄なのに。反対者をどうこうするより、賛成者を固めることが大事です。