最近、ある方から「教科書がデジタル教科書になる方向性が定まりましたが、デジタル教科書になるとどう変わりますか?」と聞かれました。
デジタルになれば複製は無料で出来ますし、高解像度の写真や動画がいくらでも使えます。また、輸送もほぼ無料で出来ます。そうなるとスケールメリットが大きくなります。そこからはフリードマンのフラット化する社会(https://amzn.to/2GSc9q3)に書かれていることが起こるでしょう。ただし、途中まで。
地方大学を守るために首都圏の大学の定員を抑えようとする文部科学省なのですから。寡占は許さないでしょう。一ページ当たりの文字数、写真・動画の総数、ページ数を定めるのでしょう。結局行き着く先は、紙媒体での教科書を提出させ、それをpdf化するというものに落ち着くのかもしれません。つまり変わらないよ、と応えました。
何も変わらないかと言えば、少しあります。教科書等を何冊もリュックに入れることなくタブレット一台となれば、ランドセルが廃れるかもしれません。また、情報として送ることが出来れば、企業の配送センターは無くなります。結果として、今回のコロナのようなことが起こっても安全に全国に教科書を届けることが出来ます。
ま、その程度です。多くの顧客が紙媒体を望む限り、市場占有者である文部科学省は、顧客のためにデジタル化の邪魔をします。