私は筑波大学で生物物理学を学びました。大学院では電気概念の形成を研究しました。大学院ではピアジェ、オーズベル、ガニエの原書を読みました。毎日、コメニウスやヘルバルトなどの古典を意地になって読みました。毎日、13時間は机にかじりつきました。それは毎日、続きました。その結果として、学術論文を量産しました。業界用語ですが、A論文を4つ書きました。平均的な大学の准教授の業績です。なかにはScience Educationという外国雑誌もあります。
その私の勤務校は、子どもたちの多くは内申書オール1、暴走族、レディース、とそのOB.OGです。その子たちに物理を担当しました。
何が出来ます。
私がいきられたのは、その中で生き残っている先輩教師の知恵をいただいたからです。
採用する教員の能力より、育てる職場の方がだいじなんだけど。教育委員会の人たち、自分が初任の時、どれだけ無能だったことを忘れたのかな?私は忘れません。